ちょっとびっくりした

 昨日の日記がですね、保存されているのか良く解らんなぁ、と何度も保存クリックをしていたらですね、同じ記事がいくつもいくつもくっついているという・・・おおう!!今朝整理しました。もう一つしかないです。はい。
 クリント・イーストウッド監督作品『硫黄島からの手紙』を見てみたいなぁ。たぶんWOWOWで夏にやるだろう・・・とここ数年思っているとかどうなのか、ついつい手に取り借りてしまいました。

今ここに神はいない‐米海兵隊員が見た硫黄島の地獄

今ここに神はいない‐米海兵隊員が見た硫黄島の地獄

 アメリ海兵隊の衛生兵として十九歳の時に硫黄島で戦った、一兵士の記憶に基づいて書かれた作品です。
 太平洋戦争後期、アメリカの上陸作戦でもっとも被害が出た、つまり日本側にしてみればもっとも防衛線が効率よく行われた戦いです。もちろん日本側は全滅するまで戦い続けた訳で、戦略的な意義は時間稼ぎでしかなく、負ける戦争しやがってばっかやろうどもが、という感想なんですけれども。海軍力が壊滅している時期ですからねぇ。
 今まで過酷な戦場の記録というのは、いくつか目にしてきましたが衛生兵の視点というのは更に生々しく、応急処置をして後方に下げるべき戦友が、成す術もない重傷を負わされ泣き喚いている。やれる事と言えば、モルヒネを打ち、破片を取り除き、粉末状の薬を傷口にふりかけて包帯を巻いてやるだけ。
 静かになったな、と思ったらヘルメットに穴が開き、そこから中身がどろろんと出てきて死んでいた、とか。そんな話が一杯です。
 損耗率実に六割という、正気か?という戦場で著者も精神を病んだと診断され、後方に下げられたので、硫黄島の顛末を最後まで記述する事はありませんでしたが、余計に戦場の生々しさを伝えてくれます。
 洞穴や岩盤を利用した地下拠点でゲリラ戦を展開する日本軍に対し、アメリカ軍は火炎放射で拠点を一つづつ焼き払っていくという戦術をとります。死体かと思うといきなり撃ってくる、自爆する。アメリカ兵の死体を無残に切り刻む。そんな行為を行う日本兵に対して何の同情も抱かない著者ですが、火達磨になって転げ周り、アメリカ兵によって射殺されるその死に様には憐れみを覚えたそうです。というか、効率的だが誰もやりたくないのが火炎放射で、まずもって自分が被弾したら自分が火達磨になるという恐れがあるしネ。
 蛸壺を掘り、日本軍の夜襲に怯えながら三日四日と徹夜すれば、体力も精神もボロボロになりますわな。
 一般的にアメリカ軍は捕虜を人道的に扱ったとされていますが、やはり例外は存在して、不潔な野戦病院は友軍兵士の負傷者で一杯。そこへ日本兵の捕虜が運びこまれて「お前なんか治す必要はねぇ」とばかりに捕虜を撃ち殺した軍医のエピソードとか、読み聞きした話の中で一、二を争う酷い話だなぁ、と思います。感情として理解できるけど、それでもなぁ・・・それが戦争と言われればしょうがないのかな。
 亡くなった父方、母方の祖父はいずれも戦地に行っていません。母方の祖父は糖尿病で三十代で死亡するわー、なんて言われていたらしいですし(結局七十代で亡くなったけど)、父方の祖父は軍医の親戚に診断書をいじってもらって徴兵を免れています。
 父方の祖母の兄弟で亡くなった人は二人だか三人だかいます。特攻で亡くなった人が一人いたのかな?事情を知っている人は全て鬼籍に入られたので、詳しい事は解りません。
 戦後の混乱で財をなし一応の成功者である父方の祖父母は木曽川をこえて名古屋へ物を運んだ苦労を話す事はありますが、それ以上の事は語りませんでした。物心ついた時からTVで戦場の報道がされる度に父方の祖母は「戦争だから仕方ない」と呟いていました。
 戦前、日本は十五年間戦争状態でした。中国との出口の見えない戦争。それを打開する為の太平洋戦争。それだけ戦争が続けば、もう自らの意思で行っているというよりも『天災』に近い感覚になってしまうのかなぁ。子供の頃には仕方ないはないだろうと思っていたけど、震災とか起こった後で考えると、庶民としてはそう考えないとやってられないのだろうなぁ、と思いました。
 それがアメリカ人になるとタイトルのように「今ここに神はいない」になるのだろうなぁ。