曹操と劉備の違いを考えてみた

 ある意味、昨日の続きですネ。
 今回は性格的なものは一切考慮しません。詩作などで多少なりともその心情がうかがい知れる曹操と違い、劉備は野史を含め史書のエピソードしかなく、こういう話はこの人ならやりそうな事だと後世の人が創作した可能性を否定できないので。
 まず出身。劉備は北方の幽州で漢帝室の一族とかいいますが、まぁ織田信長の子孫と同じ程度のイメージ。父親を早くに亡くし、一族の支援を受けて遊学しますが、ぶいぶい遊んで終わりで何かを身につけた訳ではなさそう。唯一の成果は公孫サン(文字化けするんじゃないかと思う)と友人になった事ぐらい。その後の動乱ではこの人脈がものをいい、彼は公孫サンの配下あるいは同盟者として活動します。
 一方、曹操は宦官の養子となった父親を持ち、巨万の富で官職を買っちゃう富豪出身。しかしかなり真面目な男で、官職につくと真面目に役をこなそうとし、不正横行の朝廷において疎まれ、若隠居状態に。動乱が起こると馴染みの袁紹の配下となり活動します。
 当時は袁紹劉表勢力と袁術公孫サン陶謙勢力が関東で対立する構図で、曹操が主にケイ州、劉備はその隣のキ州、青州あたりで活動しているので、実際に対戦している可能性もあるかも知れませんが。
 その後、黄巾党の残党を配下に加え、呂布との死闘に勝ち抜き、長安から逃亡してきた献帝の朝廷を保護して曹操は自立の道を歩みます。
 一方の劉備陶謙の後継者に指名されますが曹操に敗れた呂布への対処に失敗し徐州の支配権を結果的に曹操の支援の下に確立する羽目に。ここで曹操の下につけば劉備はそれまででしたが、袁紹と組んで曹操と戦おうとしますが、あっさり破れてしまいます。
 運命の分かれ道は自力で勢力圏を築けた曹操と築けなかった劉備ってとこだと思うのですが、その原因は、曲がりなりにも上流階級の末席にいて、それなりの評判(悪名も名声)と人脈を持っていた曹操に比べて、劉備は動乱が起こるまでほぼ無名であったことですかねぇ。
 その後の危機の乗り越え方も、根拠地を呂布に乗っ取りかけられた時、人脈の力で自前でなんとかした曹操と、できなかった劉備を見ると人材の豊富さとそれを利用する政治力の差であったのではないかと思います。
 自分を暗殺しにきた男に信服させるというエピソードがあるくらいなので、劉備は人間的魅力に溢れた人間なのでしょうが、しかしそれが政治力にならなかった、なったとしても遥か後年で、中原の趨勢がほぼ定まった後でした。
 それはやはり、どんな人間でもその才能によって信じ、仕事を任せ、そして評価していく曹操のやり方を見習ったからではないのかなぁ、と思いますネ。
 しかし・・・やっぱり劉備って敵役が似合うような気がする。悪役ぢゃないよ?