読み終わって感じたこと

 読み終わったのはコレです。

乱鴉の饗宴 (上) (ハヤカワ文庫SF)

乱鴉の饗宴 (上) (ハヤカワ文庫SF)

 第四部です。浅はかなサーセイが自滅しつつあり、ドーンではデナーリスとの共闘でラニスター家の覇権に対する反乱の兆しが、『海賊』グレイジョイ家は行き当たりばたーりに略奪。そんな話ですが、ふと読んでいて思ったのは、この物語に出てくる庶民ってやられっぱなしの哀れな存在として描かれています。
 そういえばヨーロッパの歴史関係の本には、戦う村落の話はあんまり出てこないなーっと思いました。都市は結構『共和制』という名の寡頭政治で、王侯貴族と対立しオランダみたいに独立するという事例がありますがネ。富は都市に集中するというような感じ。
 日本の室町期は、強力な支配権力が不在の地域では加賀の『一向一揆』のように共同体の合議制で百年近く統治が続いた事例がありますが、一向一揆の名前が災いして、その統治がどのようなものであったのか、あんまり詳しい研究は少ないと思います。確か一向宗一揆だけではなかった筈だが・・・
 日本の中世、少なくとも戦国期に大名権力が地域支配を強力に行うようになるまで、村落は独自に集落同士が同盟し、境界線や水利権の争奪で合戦に及んでいました。もちろん上位権力による裁判裁定というものはありましたが、例えば幕府にはその判決を執行する能力も意思もなく、こう判決が決まったからお前ら話をつけろよ、という自力救済の世界でした。そのお墨付きをもらった村落は、境界線や水利権の争いで同盟集落より加勢を頼み、暴力沙汰になると報復の論理で合戦し、どっちが勝った負けたによって解決します。最終的には示談に落ち着くようですが。そうならなければ不倶戴天の敵同士になるという。
 翻ってヨーロッパは、『蛮族』や『海賊』による蹂躙、ビザンツ帝国による収奪でローマ社会が破壊された印象からか、そういう自力救済の動きは中世後期まで見えてきません。そういう研究書にお目にかかっていないせいかも知れませんが、どうもサラセンやヴァイキングといった海賊たちに翻弄され、略奪される人々(時によっては貴族も含む)というイメージが中世中期まであります。皇帝や王が集められる戦力が、万に届かない、下手をしたら千にも届かない時代ですからネ。
 最近の日本の戦国小説というものを読んでいないし、恐らく大名同士の駆け引き、心情、現代的な家族劇みたいなものを描いているような気がするので、自分の権利を主張して『雄雄しく生きる』庶民というものは描かれていないと思います。
 まぁ『七人の侍』の前提が『雄々しい庶民』だとドラマが成り立たないもんなぁ・・・