アレクサンドル・ネフスキー

 日本ではほとんど知名度がありませんが、ロシアでは救国の英雄として知られる人物です。ただ、歴史的な文献にはほとんどその事跡は残っておらず、しかもそれを丹念に調べるとロシアの作家や文学者、歴史家が熱烈に歌い上げるような人物ではない・・・みたいです。

タタールのくびき―ロシア史におけるモンゴル支配の研究

タタールのくびき―ロシア史におけるモンゴル支配の研究

 大半が研究の反証みたいな本ですが、十二世紀から十三世紀にかけてロシアを席巻したタタール=モンゴルの影響が、その後のロシアを決定したというのが通説らしいのですが、しかし考えてみると、そんな事はない、と。
 ロシアの専制とモンゴルの専制は意味が違うし、ロシアの文化や秩序を尊重したのは西方にやってきたモンゴル人の数がそもそもそれほど多くなく、圧制など敷く事ができなかったこと。しかし当時のロシア諸侯に比べれば圧倒的な軍事力と富を持っていたのは確実で、これに逆らう事などできないと判断したアレクサンドル・ネフスキーは親モンゴル政策をとって自らの支配基盤を強める事にします。しかし上納目的の税は評判が悪く、彼はロシア人勢力とモンゴルの板ばさみにあって、間で苦労しているようです。
 また彼の一大武勲であるドイツ騎士団との戦いも、それほど大げさなものではなく、領土境の小競り合いみたいだったようです。当時は何千という軍勢が集結する事は希で、数十人から数百人がせいぜいだったようですから。
 そういえば、当時のヨーロッパの君主が集められる軍勢も数千がせいぜいだったっけ。
 しかし、ロシアという国が成り立つ前夜に生きあがいた人の姿は、何とか理解できたかも?