TRPG関係尽くし

 土日の話です。といっても土曜日はシナリオのコンバートにひいひい、日曜日はD&D4eセッションで、戦闘遭遇はたったの一回、他は全て技能チャレンジという戦闘色の薄い一日でした。こんなのD&Dでは初めてぢゅないかしらん。
 まぁ、望めば大苦戦な遭遇が待っていたのですが、DMもいい加減うんざりしていたらしく、助け舟を出してもらった?誘導してもらった?というのか、穏便な方向へ話を進めました。しかし一番重要な、このシナリオのそもそもの開始の時に欠席していたせいで、何をしゃみったらいいのか解らない状況で、必要な事は皆さまに喋っていただいてしまいまして、私はそれを追認するばかり・・・ダメだこりゃ・・・
 次回からはもう少し精進しよう・・・
 そしてもう少しで読み終わるもの。

中世英仏関係史 1066-1500:ノルマン征服から百年戦争終結まで

中世英仏関係史 1066-1500:ノルマン征服から百年戦争終結まで

 ぶっちゃけていえば、カペー家→ヴァロワ家と続くフランス王家(王国ではない)とノルマンコンキスト以降、征服と結婚でイングランドとフランス西半分に領域を拡大したプランダジュネ家(あえてプランタジネット家とは書かない)の戦争の歴史ですネ。
 現在の国民国家が中世にも存在したと錯覚するのは二、三十年前の歴史家でも犯した間違いでして、その文脈で考えると間違えてしまうのですが、これは二つの家系の財産争いみたいな感じです。それが徐々に国家、人種の区別が浮上して戦争の終局にはフランス王国イングランド王国が立ち現れてくる、みたいな感じになります。
 それが周辺地域(国家とはあえて書かない)を巻き込んでの紛争というところが、中世という時代を感じさせます。ライン川から西で、この二つの家の争いに無関係だった貴族はほとんどないくらいですから。
 面白いと思うのは、カペー→ヴァロワ家とプランタジュネ家の争いが王国を誕生させる方向へ向かったのに対し、当時のビッグネーム、神聖ローマ皇帝ローマ教皇の争いは、結局それぞれのお膝元を分解する方向へ進み、ドイツもイタリアも近代にいたるまで統一される事はなかったということ。
 この二つの争いがもたらした結果の違いがどういう理由だったからなのか。想像はつきますが、まぁ、それはまた今度(書くことあるのか?