ねごとのライブ以来、微妙に腰が痛い

 肉の津波に溺れかけた事が腰の負担になったのかどうか知りませんが、まぁ無茶はするなという事ですネ。無茶なんて一ミリグラムもした事がない人生ですが。
 そろそろ夏コミの当落が来てもいい頃だと思うのですが、まぁ来週あたり、ちょいと寝かせたラウルくんの新作を改めて推敲してみて、それからヨ志ノリさんとこへ送ってやろうかと考えておる所存。
 原稿書きは新作の方へ完全以降。本にするアテはないが書いている!!Polmeriaのイラスト描きさん見つけてからじゃないといけませんからね。
 さて先週読み終えたもの。

新田岩松氏 (中世武士選書 第 7巻)

新田岩松氏 (中世武士選書 第 7巻)

 清和源氏の名門と言いながら、時流に乗り損ねて表街道から脱落。同じ一族の足利氏の対抗馬→風下→分裂弱体→下克上にあって滅亡。という、調べてみればよくいるケースですね。
 鎌倉時代になる前は北関東の源氏最大勢力でした。他は藤姓足利氏や小山、宇都宮などの平安中期以来の武士団の力が強く、源姓足利氏なんて弱体もいいとこ。
 風向きは源頼朝の台頭によって変わります。源姓足利氏は義朝、頼朝の身内として協力し、小山氏も結果として味方につきます。明らかに頼朝と敵対した藤姓足利氏は滅亡。関東で最後に旗幟を明らかにした、つまり最後の最後まで頼朝に味方しなかった新田氏は冷や飯食いとなります。
 幕府開府後はそれなりに用いられますが、新田本家ではなく分家を独立した御家人として認めるようになり、本家の力は弱くなります。足利氏はごく僅かな例外を除いて分家に対して統率力を維持しましたから、鎌倉末期には実力、名声ともに大きな開きが出てしまいます。
 鎌倉幕府滅亡のきっかけも、足利尊氏による六波羅探題滅亡ですからね。新田義貞の挙兵はそんなに時間的差がないといっても、六波羅滅亡、尊氏寝返りが広まらなければ、どれだけの軍勢を集める事ができたか、不明。
 建武政権期に尊氏対抗馬として期待されますが、天皇専制を嫌った武士の支持は集まりにくく、ちょっと純朴なところもあってか戦略的に劣勢となります。越前で再起を図りますが、遭遇戦であっけなく戦死。
 その後の新田系は岩松氏が中心になったようですが、足利幕府内の内紛、観応の擾乱に負け組みについたので、また逼塞。その後も戦国時代まで、必死に家を建て直そうとするも旨くいかなかったみたいです。
 ここまで読んでいて、新田岩松氏というのは、最初の開発荘園にこだわり本貫地にこだわっているのですよね。彼らの滅亡時期と入れ替わるように尾張織田氏が台頭してきます。中世以来の関東の有力豪族は弱体、滅亡していきます。彼らのこだわりとは反対の経済観念を織田氏は持っていたように思われます。
 これが織田信長の『天下布武』につながったのか?と少し思ってしまいました。