まだ桜は持ちこたえているっ

 今朝はいいお天気です。快晴ですよ。風は強そうですが。たぶん金曜日の雨で散ってしまうだろう桜。もう一度見る機会があるかどうか・・・
 ラウルくんシリイズの新しい原稿、とりあえず残すところ1/4となりました。まだまだかかるなぁ。東京コミティアでヨ志ノリさんに渡せればいいんだけれど、まぁ慌てる乞○はもらいが少ないと思っている人なので、ゆっくりまったり・・・振り返ってみると時間をかけすぎなのだが、まぁ、何とか・・・
 『Polmeria』の後任イラストレーターさんが見つかりません。名古屋コミティアをブラブラうろついて、ご新規さんを見つけて、そこからアプローチをかけるとか何とか、そんな事を思いつきましたが、次の名古屋コミティアは九月・・・なんで二月にこれを思いつかなかったのかと自分にガッデム!!思いついたからといってすぐにイメージに合う絵が見つかるとは限らず、また、その人が引き受けてくれる可能性は低いが、そんな事はカンガエナイ!!
 今夜、先日購入した日本昔話のDVDを見ようかどうか考え中・・・楽しみにしていた『猿神退治』が入っているので・・・部屋が暖かかったら見よう・・・(え
 そして読み終わったもの。

秀吉と海賊大名 - 海から見た戦国終焉 (中公新書)

秀吉と海賊大名 - 海から見た戦国終焉 (中公新書)

 瀬戸内の水軍、海賊たちの動向と没落を描いているのですが、自分的に興味深かったのは毛利氏への秀吉の対応が、徳川氏へのそれと対比しているのだなぁ、と感じました。徳川氏が東国諸侯の取次であるとすると、毛利氏は西国のそれで、しかも徳川氏は上杉氏や東北に転封した蒲生氏と分割しているのですが、毛利氏は一門大名小早川氏を含めてほぼ独占。まぁ朝鮮出兵の段取りをしなければならなかった事を考えると、しかもそれは豊臣政権の文治派主導ですから、単純な比較はできないのですが、西国における影響力は徳川氏に匹敵するものがありました。
 しかも秀吉は最初毛利氏の北九州への完全転封を、東海から関東へ完全に転封させた徳川氏と同じように考えていたらしいのですが、最終的に小早川氏を伊予から筑前に転封する事で決着したので、この面では秀吉の気の使いようは徳川に対するものの比ではないです。海外出兵には水軍は欠かせず、国内最大の水軍力を持つ毛利氏の影響力を考慮しなければならなかったという。
 薄々感じている徳川氏過大評価は、やっぱれ最終的に家康が天下を取ったからなんだろうなぁとぼんやり考えます。
 まぁ関が原の合戦における戦略目標が毛利氏の没落と徳川氏の勃興をもたらしたと考えていいでしょうね。中央政権をかけた決戦に比重をかけた徳川氏に対し、毛利氏は秀吉に奪われた利権の奪還に動いて、積極的に関が原に関与しませんでしたからね。
 その辺は評価するけど、秀吉が家康を恐れたと同時に、毛利氏の存在も秀吉にとっては同じぐらい大きかったと思います。少なくとも秀吉にとって家康は『鉢植え大名』にはできたけど、毛利氏はできなかったのですからね。