変な天気

 晴れたかと思うと雨が降り、そうかと思うとまた晴れる。これこそ不安定な天気ですね。これで年末までは最後にして欲しい寒気が週末にきます。皆様お体にはお気をつけ下さい。
 土曜日は自宅でまったりシナリオコンバートと作業を行い、日曜日は幻想さんのコンベンシヨンへ行く予定ですが、今夜返事がくるのかな?
 原稿は来週から本気になります・・・なりますっっ。と宣告しておけば、たぶんやる(ナニ
 この頃いずれ読むという見込みで本を購入しています。枕元に置いておき、就寝前に一章とか、そんなペースで読んでいます。昨日もそんなの買ってしまいました。アホです。しかし今枕元にあるのは、かつてマンガ版で読んでしまって、ネタを知っているんですよねー・・・だから長いこと読む気力がわかなかったのですが、もういいか、と読み始めました。案の定、意欲がなかなか沸いてこない・・・がんばろう・・・ん?就寝前のリラックスタイムでがんばるとは、こはいかに?しかもがんばるという言葉がき・・・いや、いやいやいや・・・
 さて、もうすぐ読み終わるもの。

戦国大名武田氏の権力構造

戦国大名武田氏の権力構造

 面倒臭そうなタイトルがついていますが、後北条氏と武田氏の外交システム、武田氏一門衆の収入、武田氏家臣三枝氏の意識変化、未読が守護大名武田氏の変遷と最後に総括みたいな戦国大名としての武田氏権力・・・ですかね?
 面白かったのは戦国時代の外交は、人脈によって培われていた事と、大名側近と一門、もしくは準一門のセットで行っていた事。ある程度の全権を与えられていても最終決定は大名を含めた評定で決められた事。その為に外交担当武将の政策と異なった結果になった場合、何とかその武将の面子が保たれるように家中が努力している事、ですかね。
 三枝氏の意識変化は、武田氏家臣でいる間は、どちらかというと外様の彼らは武田氏側近との親密さを強調しようとしています。平安時代から続く三枝家を強調せず、信玄側近の山県氏から姓をもらって、それを公式な名乗りとして使用していました。
 ところが武田氏が滅亡し、徳川の家臣になり、駿河大納言忠長家臣となった頃からアイデンティティの再設定に迫られます。将軍家直参から、将軍の弟の家臣とはいえ陪臣になるのですから、家格の低下は免れない。なので古代から続く一族を再発見して、その家柄の古さを誇ったようです。
 戦国期はその辺てけとーですよね。織田信長がその最たるもので、越前の織田神社の神主家系から出ていますが、最初は藤原氏を名乗っているのですけど、足利義昭を追放して自らを主権とする天下取りを意識し始めると平氏に変更しちゃうんですよね。当時から流行り始めた源平交替思想に乗っかった訳で、源氏の足利氏に代わるのは平氏だって事かな。
 徳川は、おそらく源頼朝にあやかる為か源氏を選択しています。とはいえ有名どころではなく新田系の誰も知らんような一族。始祖が行商人で、在地商人に婿入りしたのがきっかけで家が豊かになり家系図を残せるようになったところですからねぇ。
 だからなんやねん、なんですけど、こういうところを研究してくれる人がいると楽しいです。