色々見たり読んだり2

 昨日の続きです。まずはこれ。

戦国誕生 中世日本が終焉するとき (講談社現代新書)

戦国誕生 中世日本が終焉するとき (講談社現代新書)

 タイトルそのままです。どうしてそうなったのか、という事を解説していますね。あっさり言ってしまうと室町中期の為政者たちに、その当時起こりつつあった問題に対処する能力というか実力というものがなかったということ。
 それまでの日本は権威で世の中が回っているようなもので、実地支配をしているものが権力者というものではありませんでした。平安期の王家、摂関家もそうですし、鎌倉時代中期以降の北条氏や幕府官僚たちも実際に現地で支配している訳ではなく、その上がりで富を蓄積していました。
 室町中期以降はそういう事が通用しなくなり、例えば戦争での兵力動員も現地支配者である守護代が担い、また儀式費用も在京の守護大名たちでは調達しきれず守護代頼り。
 その一方で将軍家を始めとする有力守護大名たちは家督相続を巡って内紛状態になり、結果発生した応仁の乱は、大将である大名たちの思惑から逸脱しても戦いは継続されます。まぁ将軍や大名たちの政治が解決に向かわず混迷に向かい、その権威を失墜されたという事もありますが。
 という訳で建前は否定され、今の世の中は実力のみが頼りという自力救済が行き着いた戦国時代になると。
 戦国時代の定義を事件ではなく、人々の考え方から求めるというのは、結構解りやすいと思いました。
 あと、意欲も能力もあるらしいけど優柔不断で移り気な足利義政の失政を見ていると、現代のどっかの誰に似ているような気がしないでもない・・・うーむ・・・
 続いてはコレ。
ヴィンランド・サガ(11) (アフタヌーンKC)

ヴィンランド・サガ(11) (アフタヌーンKC)

 そのまま生き別れて、トルフィンが新大陸・・・恐らく現在のカナダあたりに移住する最後の方で、再び会合すると思っていたクヌート王。彼との話がまさかこの時点でクロスする事になろうとは・・・
 しかしトルフィンの漠然とした望み、人生の希望を知った時、「なるほど、これは対比の物語だったのか」と一人合点。
 少年時代は争いごとを嫌い、キリスト教に帰依していたクヌートが、神の教えに絶望し修羅となっても楽土を建設すると決める。
 対して少年時代は復讐に囚われ、血の匂いの中でしか生きてこなかったトルフィンが、長じて争いや奴隷のない世の中を夢見ている。
 クヌートの没年は確か四十歳前後。トルフィンがカナダあたりに移住するのはたぶん三十代前ではないかと思うのですが、この物語の行き着く先は、そのあたりかなぁ、と思ったりしたり。
 しかし・・・クヌートに狙われたケティル農場、そしてトルフィンと友人たちの運命やいかに?次巻の発行は半年先かな?楽しみ楽しみ。