ふと思ったのですが

 細川重男さんの著作を読んだせいか、「北条義時ってドラマ向きの歴史上の人物じゃないか?」と。
 伊豆の、中央ともつながりがない訳ではないけど、まぁ小規模な武士団である北条氏の分家になる事を決められていた彼が、義兄に源頼朝を得たこと。彼の第一の家臣であると認められていたこと。頼朝死後の権力闘争で父時政が策を弄して対立勢力を倒していくのですが、それに対してやや距離をおいていたこと。最終的には暴走した父と継母を追放して北条氏の、そして幕府の中枢に上り詰めたこと。
 そして最後には、『朝敵』と認定されながら、『上皇ご謀反』承久の乱を勝ち、唯一『朝敵』を跳ね除けた人物であります。武家時代には頼朝とともに神格視されていた人物ですが、面白い事にガリガリの皇統支持者の北畠親房北条義時を認めていて、彼が否定されるのは明治維新後・・・なのかな?
 そう考えると明治から戦中までって言論統制の時代だったのかねぇ、とも思いますが、は○とか、め○らとか、え○とかいう言葉が差別的用語と自主規制されている現代もある意味言論統制されているのかなぁ、と思ったり・・・それはどーでもいいことですが。
 北条義時本人は積極的に動いていないのですよね、各局面で。おそらく実直で真面目な人柄で、野心満々の親父に比べると他の御家人たちから信頼されていたのかも知れません。『陰険』と見られそうな出来事は宇都宮頼綱出家事件とか、和田合戦前後の事かな。それも若いというより幼い三代将軍実朝を支え幕府の中央集権をはかろうとした結果なので、弁解ができなくもない。
 自分がギラギラ目指さず、あれよあれよという間に幕府の実力者になっていく。そういう人物ってドラマにならないかなぁ。ダメかなぁ。
 昔の大河ドラマ毛利元就」を見て、あ、原作の持ち味が死んでいる、と感じたんですよネ。原作は永井路子さんの『山霧』という元就と妻お方が七転八倒している姿を描いた小説でして、冷静で冷徹な元就と明るくて、くよくよしないお方の、互いが互いを補うような夫婦関係が好きだったのですが・・・いやお方が凄く可愛いのですが、その設定を生かしていなかったんですよ。
 「俺が!俺が!」っていう人の方がいいのかね?それとも脚本家の好みですかネ?
 まぁ自分は小説にするのは、この義時のキャラクター性だけ使うつもりなんですが(マテ