なかなか面白かった。

 その文章表現には、首をかしげたりしたのですが、知らないところを調べてあげてくれたので面白かったです。
 なーんかいつもの密林接続の画像に繋がらないので、題名だけ。
 『関東戦国史御館の乱
 ぶっちゃけ関東戦国史の部分は何度も何度も書かれた事の繰り返しなので、どーでもい・・・げふんげふん!!興味深いのは御館の乱を中心に書かれた北条氏康の七男、三郎と呼ばれた上杉謙信の養子、上杉景虎の生涯。
 妾腹で生まれた彼は、その時々の北条氏の方針に左右され、その運命を変転としていきます。最初は北条家臣団筆頭ともいえる北条幻庵家の婿養子に。しかしそれは数ヶ月で解消され、今度は武田へ養子に。ところが武田信玄駿河侵攻に端を発した、いわゆる三国同盟の破綻により再び北条家に戻り、変わって北条氏が交わした宿敵上杉謙信との同盟により三郎は謙信の養子、それも養嗣子としていきます。
 今度は謙信の姪、景勝の姉妹と結婚し一子が生まれ、上杉家の後継者として保証されたと思いきや、北条との同盟破綻でまたその地位が宙ぶらりんに。
 謙信としては北条の血筋である彼を後継者にする事はできない。しかしせっかく上杉家後継者候補をもたらしてくれた彼を無碍にする事はできない。ので自分の甥景勝を中継ぎ後継者に、最終的には景虎の息子を後継者に、という継承順位を決定しておきます。謙信自身が病弱な兄に代わり、兄の息子が成人するまでの中継ぎ当主という意識でやっていたようです。だから不犯だったとか。自分に息子が生まれると継承に問題が生じるから。
 謙信としては考える最良の手立てを打ったつもりなのでしょうが、まぁ人間の考える事です。謙信の死後、養育問題で景勝と景虎が若干対立するのですが、それに景勝の中央集権的な政策に不満を持つ連中が景虎側につき、結局内乱勃発。両者とも「こんなことになるとは・・・」という成り行き。
 当初支持勢力の大きさからいったら景虎側が有利だったのですが、実際に戦場に立った経験に乏しい景虎と、精鋭部隊を率いて実戦指揮官として戦った景勝との経験の差が勝敗の分かれ目でした。決定的だったのが景虎支援で越後にやってきた武田勝頼が寝返りともいえる中立になってしまったこと、関東で交戦中だった北条主力が景虎支援に向かう事ができず、結局緒戦の敗退から態勢を挽回できずに敗北した、という事らしいです。
 読んでいて思ったのですが、なーんかドラマ仕立てにしやすい文章だなぁとか。いかにも歴女が喜びそうな題材だし。たぶん狙っているんだろうなぁ。
 御館の乱の結果、武田勝頼は北条を敵に回す事になり、孤立を一層深め、上杉景勝は逆に北条と織田以外の勢力と友好、あるいは好意的な中立関係を結ぶ事ができ、あと本能寺の変の幸運が重なって生き延びる事ができました。
 もしも上杉家の後継者が景虎であったなら、武田でも人質生活をしてそれなりに人脈があり北条出身者の彼ならば上杉、武田、北条の三国同盟をつくる事ができたかも知れません。ただ実戦経験がない彼は信頼できる前線指揮官が不可欠で、それが外様出身の彼にどれほど得る事ができたか?という事になると別の問題になります。
 まぁとはいえ、周囲を敵対勢力に囲まれた上杉、武田、北条が三国同盟を結んだとしても押せ押せの織田家の攻勢をどこまで凌げたかは疑問ですがネ。
 しっかし、この本の文章表現・・・うーむ、御免、好きになれないや・・・