眠い・・・眠い・・・

 秋は涼しいので良く眠れますよ。だから、眠い・・・眠い・・・眠い・・・ってダメダメ!!ちゃんと生きないと、ちゃんと・・・ちゃんと・・・ちゃんと・・・ちゃんと生きていても眠いものは眠い・・・んがー!
 昨日はこんな本を読み終えました。

ピョートル大帝の妃―洗濯女から女帝エカチェリーナ一世へ

ピョートル大帝の妃―洗濯女から女帝エカチェリーナ一世へ

 ロシアの歴史ってそんなに詳しくなかったのですが、エカチェリーナ二世は有名だけど一世ってどんな人かいな、と思って手に取りました。
 ロシアを近代化させた精力的な巨人、常識的に言ったらはた迷惑な人であるピョートル一世の二番目の正妻で、え?洗濯女から女帝?
 十七世紀のヨーロッパ感覚からすると破天荒な事でもアジア的な専制君主からすれば、低い身分でも君主が必要と感じたなら、どんな人物でもその身分を引き上げられる、という権能がありますので、困難だけど不可能な事ではなかったようです。
 エカチェリーナ一世の治世は二年ちょっと。政治的に何かを成すには短いし、ご本人もいい人だけど政治的能力があるわけではなし、ただ当時の権力闘争から身を守るには皇帝になるしかなかった。そしてこの人、ピョートルの世話女房なので、どんなところにでも、たとえ戦場にでも一緒についていき、一緒に前線を視察し、負傷した将兵の手当てを手伝ったりしたので近衛兵の支持は抜群だったようです。
 ご本人も穏やかな性格なので、近衛兵の武力を背景にしながら、その治世は穏健そのものだったとか。当初「女の皇帝なんてとんでもねー!」といっていた庶民も彼女が不摂生、食べすぎ飲みすぎの末に肥満になり健康を害して亡くなった時には、その人柄を惜しんだそうです。陽気で物惜しみをしない性格が好かれたようですな。
 ただしその後のロシアの情勢は不安定の一言。彼女の死後、前妻腹系のピョートルの孫が即位しますが冬の最中に無茶をやって病死。つぎにピョートルの兄系の女帝が即位しますが、この人は常軌を逸した性格で『ロシア史暗黒の一ページ』とまで言われる始末。
 ヨーロッパ東の大国として認められるのはエカチェリーナの娘エリザヴェータが即位してから。この人も政治能力があった訳ではないけれども、人を見る目があったようですネ。陽気で運がいいだけかも、ともいえる。
 エリザヴェータの後を継いだのが彼女の甥ピョートル三世ですが二年後に妃のエカチェリーナのクーデターにより失脚。そして大帝と呼ばれるエカチェリーナ二世の時代になるという・・・。
 気がつけば「ロマノフ朝」といいながら直系子孫が皇帝位を独占していた訳ではなく、あまつさえ二人のエカチェリーナにいたっては血族ではありません。皇帝の配偶者でもクーデターでも即位しているところが面白いですネ。王朝が断絶したという認識ではないところがおおらかというか、何と言うか。
 しかしエカチェリーナの息子パヴェル以降は男子系で継承されていきます。我々が思い浮かべるようなロイヤルファミリーとその継承が続く訳で、これがようやくロシアが安定した印と見るべきでしょうか?
 知らなかった事を知るのは面白いというか、ロシアって国は現在にいたるまで同じような権力闘争をしているみたいだな、と思ったりしたり。
 まぁ日本人も同じですがネ。