本日も快晴です。
明日まで天気がいいようですが、日曜日は雨が降るとか降らんとか。日曜日は自宅でセッションでございます。おいでになる方は気をつけて欲しいですネ。・・・もう既に家庭の事情で欠席確定の方がいますが。
昨日買ったもの。
- 作者: おがきちか
- 出版社/メーカー: 太田出版
- 発売日: 2011/05/19
- メディア: コミック
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全然つながりはないのですが、昨日午前も午後も日差しでむっちゃ暑い中、車で配達している最中にぼんやりと『織田信長と武田信玄の違いってなんだろ?』なーんて事を考えていました。
考え方はこの二人、大変似ています。合理的な戦略を立て、身分、家柄に比較的囚われず人材を登用し、戦術的速度を重んじました。
ところが信長は革新、信玄は保守みたいな事を言われますネ。まぁ平安末期から面々と続く清和源氏の一族の御曹司と、出自の解らない神官出で、しかも本家ではなく家来筋の息子となると、そういうイメージになるし、官位や幕府の職位に淡白なイメージの信長は旧来の秩序の破壊者って感じになるのでしょうが、しかし信長という人は意外に古風なところがあります。
結果的には尾張の統一には守護である斯波氏を立て、上洛作戦には足利義昭を立てています。管領や副将軍職を断ったのは、幕府の組織に縛られるのがイヤだから、ではなく、もしかしたら自分の家の家格を慮っての事ではないかと思ったりします。副将軍職はだいたい足利一族が、管領は細川、斯波、畠山の各氏が着くのが慣例であり、それ以外の家の者がつくと相当な軋轢が予想されます。有力守護大名である大内義興や六角氏ですら管領代です。それなのに今まで京とは馴染みが薄かった織田氏が、それも守護大名の家老ではなく、その家老の部下の出身でしかない自分が管領になったら一体どんな事になるのか?うるさがたに足をすくわれるに決まっています。
朝廷の官位を受けるのも足利義昭と対立し、畿内の最高権力者であると認識されてからです。つまり、室町体制や今までの自分の家格と訣別したという事を官位を受ける事で表明した、という事。それも義昭子息を一旦擁立する事を考えてから、その後です。畿内で戦争を続けていたら、気がついたら自分の家臣ばかりになっていたから、じゃあいいか、と思ったのかも知れません。
もう一つ。信玄は動き出すと早いのですが、動き出すまでが慎重です。信長の場合はとにかく早い。美濃の斎藤氏と対立していた当時、斎藤氏の当主義龍が亡くなったという報に接した途端に攻めて失敗したり、美濃三人衆という有力国人が寝返ると聞いたら、その人質が手元に届く前に、もう出陣している。こちらは稲葉山城を陥落させていますがネ。もちろんその速度を可能にするには信玄とは違った諸々の条件があってこそなのですが、恐らく、このスピード感が『革新』をイメージさせるのではないかなぁ、と思いました。
あと信長=残酷っていうのは徳川幕府のプロパガンダだと思ったりもしますネ。家康バンザイを作り出す為にそういうイメージを意識的につくりだしている。信長の残虐性って他の戦国武将と遜色ないのですよねぇ。家臣に裏切られる頻度も大して多いとは感じない。どの武将も同じ程度に裏切られ、同じ程度に報復している。ただ信長の場合、確かに前代未聞の報復をしているのは確かで、それが価値観の変貌をもたらしたのは確かです。
相手も前代未聞の、しかも信長が一番嫌いな事をやったので(家臣、家族の城に残して自分だけ逃げた)、こんな奴についていったら、こういう酷い目に合うぞ!という意味で皆殺ししてしまったという。
大体当時の戦いで最初の目標になった砦、城は落城すると皆殺しになり、敵の戦意喪失を狙うのです。これが当時の価値観なのかなぁとぼんやり思ったりして。