快晴、快晴

 これで寒暖の差が少なければいいのですけどネ。
 歴史ものの本を読んでいると大体三種類に分かれると思います。
 1歴史小説。作家の想像力による記述も許される分野。ある意味ファンタジー
 2研究者による論文。古文書や考古学的発見などを元に比較的客観的な視点で冷静に論述しています。
 3作家による論述書。新書として発行される粉とも多い。古文書や考古学的発見などを用いながら、比較的主観的視点、なんとなーく先入観を入れて書いている。
 1はそれっぽい雰囲気がないと読む気にならなくなりました。荒唐無稽が小説の醍醐味とはいえ、やりすぎを見ると引いてしまいます。
 2が一番好きです。何だか新たな発見があるような気がして読んでいて楽しい。
 3が自分的には一番質が悪い。書いている本人は冷静な論述のつもりっぽいから、尚悪い。特に『戦国時代』のみが過酷な戦乱の時代と思い込んでいる論述を読むと、こんな認識の人もまだいるのね、ああそうか、研究者じゃないからな、と思ったりします。
 そんな事を考えながら思うのは、『武士の時代って、通説どおり鎌倉時代からなのか?』ということ。よく武士と判断される平清盛源頼朝って本当に『武士』なのか?
 桓武平氏清和源氏と言われるように、彼らは天皇を先祖に持つ『貴種』であり、朝廷の官位を持ち、殿上を許された殿上人です。のちの織田信長などの戦国武将たちとは違い、都の教養人としての教育を受けて成長した都の貴族です。京都ではなく鎌倉にいて『幕府』を開いたといわれる源頼朝ですが、『幕府』なるものは大臣級の家政機関に等しく、最初は東国の武士たちの訴訟問題を主に扱っていました。西国にまで影響力を及ぼすのは承久の乱以後です。
 そしてその頃『幕府』の首脳を務めていた北条氏は『貴種』である源氏の姻族、外戚として組織の中枢に入りました。まるで擬似藤原氏を見ているみたい。
 続いて室町幕府ですけど、足利氏は清和源氏の名門で、結果的に彼らを支える事になる守護大名のうち管領を務めた斯波氏は足利姓を許された名門、畠山氏は鎌倉時代より続く名跡細川氏は足利一族の傍系。関東管領上杉氏は初代将軍足利尊氏の母親の一族。
 他に山名氏は新田系の清和源氏、京極氏は宇多源氏といわれる佐々木氏、一色氏も足利傍系。出自が不明瞭なのは村上源氏を名乗る赤松氏ぐらい?
 ところが戦国時代を経ると様相が変わります。まず徳川将軍家からして出自がはっきりしない。新田系の源氏と称していますが、たどりつける先祖が行商人であった事は間違いない。庶民出である事が明白な秀吉、織田家も越前の織田神社神官職の出らしいけど、信長は自分の本姓を最初藤原、続いて平氏と簡単に変えています。僻地の戦国武将ならまだしも、中央で活躍する織田信長幕下から出てきた連中は、皆先祖をでっちあげていった者たちです。
 室町までは生まれが、とにかく『貴種』である事が問題視されていて、それがなければ政権を担えなかったように見えますが、戦国期に支配階級は激変します。徳川幕府では徳川家の家臣である古さが問題視されている感じ。
 まぁ『武士』とはなんぞやという定義をさだめないと考えたって仕方ない話ですが、なんとなーく、鎌倉時代=武士の時代到来って考えていいものなのか?と考えたりもするのですよ。特に貴族の源氏三代まではネ。