今日はすっきり晴れてます。

 相変わらず朝方は気温が低いので、鼻はぐずっていますが。
 昨日、運転の赤信号待ちでこれを読み終えました。

 江戸時代、唯一日本と貿易していたヨーロッパの国、オランダ。その出島の商館長が、最終的には五年に一度のようですが江戸に参府する際、道中に定宿として設けられた宿を『阿蘭陀宿』と言いました。小倉、下関、大坂、京、江戸の五ヶ所。その中で一番規模が大きかったのは、やはり江戸の『長崎屋』だったようですが、度重なる火事や歴史の流れの中に埋没してしまい、記録が残っていないそうです。
 ところが京の『阿蘭陀宿』海老屋さんは比較的資料が残っていて、なかなか興味深いです。当主相続には京と長崎の奉行所の認可が必要とか、意外に小さな建坪で商館長やオランダ人医師、随員、通訳はともかく、その他の随行員は別に宿を取らねばならず、その宿の確保に海老屋さんは奔走したとか、火事で宿が消失しても参府してくるオランダ人の宿は確保しなければならないから、寺院とかに宿泊をお願いするけど、鳥獣や魚の調理をされるのがイヤだからって凄く渋られるとか、宿の維持費な長崎奉行所やオランダ商館からもらえるけど、他にも輸入薬剤の売買や、輸入品の売買で稼いでいたとか、オランダ人たちや通訳が比較的監視の緩い京を狙って『旅の恥は掻き捨て〜』というお痛をするとか、なかなか面白かったです。
 特に日本人通訳の力が相対的に強く、まぁ日本語オランダ語に通じているのは彼らだけなので、双方とも彼ら頼みになり立場は強くなりますね。その通訳たちが横暴になり監視すべきオランダ人たちから金をもらって色々便宜をはかりながら自分たちもおいしい目を見ようとするという・・・品性下劣な人がなるとやばい役職らしいですヨ。
 他にも外国人関係の情報は随分正確に知っていたようです。外国人絡みのトラブルにさらされると解っているから、五つの『阿蘭陀宿』同士協力しあっていたようです。
 こういう地道な研究を読むのが楽しいですネ。