雨が降り続いています。

 今夜も大雨とゆーております。今夜飲み会なんです。まいったね、こりゃ。
 まったく関係ないけど、ちょっと以前に読んだ本を思い出しました。

青年ヒトラー (平凡社新書)

青年ヒトラー (平凡社新書)

 ヒトラーの青年時代は、彼が政権を握りオーストリアを併合した時に、丁寧に自分の過去を『抹殺』しているので、なかなか知られていません。自叙伝の『我が闘争』はかなり後付けでご都合主義に描いている部分があるそうです。
 職人から苦学して上級官僚になった頑固な父親、優しい母親の一人息子として育ち、子供の頃はガキ大将。腕っ節はともかく、成績がよく、頭の回転が速く、演説、論述は誰にも負けなかったといいます。その反面、地道な努力が嫌いというかできないというか、秩序だって学問をしたりする事ができない。そして父親似で頑固で周囲との折り合いが悪いという・・・人を論破する事と人付き合いは別物という事なんですかね。
 とにかく思い込んだら一途で、しかしテストが嫌いで日々の拾い読み読書や、自分の好きな美術、オペラや建築美術に関しては骨身を惜しまず努力します。ちゃんと努力すればそれなりの職につける筈なのに、自分が好きな事だけやっていても人並みにできるので、ついついそれを怠ったり軽蔑したり。だから評価される結果を残せないので劣等感を抱きます。
 青年時代過ごしたウィーンが支配階級のドイツ人が劣勢で、他の民族が不平不満を抱きながら集まっている坩堝状態。ドイツ人でありながら貧乏しているヒトラーは排他的民族主義に染まり始めます。
 んが、ナチスの偏執的なユダヤ人殺害を実行する理由というのは、ほとんどないそうです。癌で亡くなった彼の母親の主治医はユダヤ人ですが、とても親切でヒトラー自身も大変感謝していたようで、ゲシュタポに、そのユダヤ人医師を迫害対象から外すよう指示して守っていたそうです。
 それでは、何故あそこまで計画的な虐殺を行ったのか?まず第一次大戦で銃撃、爆撃の最中命令を伝達する危険な伝令兵として戦場で勇敢に活躍し、評価され自分に自身を取り戻し、人生とは勝ったものが生き、負けたものが死ぬという極端で酷薄な価値観を持ったこと。
 終戦後、戦場で負けなかったドイツが敗戦国になったのは裏切り者がいるからで、それは社会主義者ユダヤ人だ!という世論に迎合して過激な社会主義者ユダヤ人排斥を訴え、敗者抹殺の論理で殺していった・・・らしいです。それぐらいしか理由が見つからない。それが当時の時代の空気だったようです。そういえば第一次大戦前後は温度差こそあれ、各地でユダヤ人排斥運動が起こった時期ですね。東ヨーロッパではナチスほど大掛かりではないですが、虐殺も起こっていますし。
 そういった意味ではヒトラーも時代の子だったという事ですネ。そうか。憎悪ではなく無関心だからこそ、大量殺人を命じる事ができるという、恐ろしい心理状態も考えられるな。うはーん・・・
 そんなヒトラーにも一人だけ親友がいました。音楽家を志しながら第一次大戦後の困窮で役人ならざるえなかった人で、ヒトラーは総統となり政権を獲得しても、その人とのつながりをとても大事にしていて、大好きなワグナーのオペラをちっとも鑑賞できない事を悔やんでいます。
 なんか、こう・・・そういう生活したいなら、ちゃんとやれよ、とか言いたいけど、それができないから政治家になっちゃうってところがねぇ・・・