もーあかん

 風邪は小康状態のまま推移しています。このまま放っておいても良くなるとは思えないので、仕事が終わったら医者に行きます。そうじゃないと東京コミティアへもヤバイ状態で行く羽目になる。
 目覚めは大変いいのですよ?健康体の時よりも早寝してる分、睡眠をよくとっている感じ・・・って事は早く寝ろよ、という事ですね。はい、肝に銘じます。
 腰と喉と鼻水・・・痰みたいなのがネックです。平熱だと思うのですが、その辺はあんまりつらくなくなりました・・・と思う。
 さて、そんな中でも読書は忘れませぬ。

鳥羽伏見の戦い―幕府の命運を決した四日間 (中公新書)

鳥羽伏見の戦い―幕府の命運を決した四日間 (中公新書)

 1930年代生まれの方が書いた文章というのは歴史上の人物に対して好き嫌いをはっきりさせるところがあって、読んでいるとなんだかなーっという気分になるのですが、この本は編集さんの努力なのか、あまりシラケムードにならずに読み終える事ができました。
 んで、感想。徳川慶喜が小心者じゃなかったら徳川が勝っていたかもネ。
 しかし、武力で討伐する気、満々の薩摩と「大軍を見せれば相手はブルっちゃうよ、HAHAHA」とお気楽極楽で侵攻する幕軍・・・これでは勝敗はおのずから明らかなのでは?
 よく『鳥羽伏見の戦い』は銃と刀剣の戦いとか言われていますが、実際は幕府軍歩兵隊の銃は元込め式で、未だ先込め式の銃しか装備していなかった薩摩、長州に比べれば装備面で劣る事はありませんでした。
 ところが物見気分で京都に向かったものですから、銃には弾がこめてないわ、一方向から大軍が侵攻するという不手際を起こすわ、まぁ運営の問題ですね。しかも最初の銃撃で現場指揮官がブルって逃げ出したという・・・兵士は育ってもそれを指揮すべき人間が育っていなかったというお粗末。
 これで勝てたとは思えないのですけど?
 結局気合の問題で複雑怪奇な政治劇を仕掛けた慶喜を撃破したって事じゃないのかと。
 その後薩長専制となった・・・と著者は言うけれど、少ない人材だけで切り回していた初期は専制なんていいものではなく寡頭制でなんとかさせていた雰囲気。恐らく日本が硬直したのは日露戦争後ではないかなぁ・・・と思ったりします。
 その頃には薩長専制になっていると言ってもいい・・・のか?