早寝したんですよ?
たぶん。でも結局十一時就寝のような。おかしいな。そして寝覚めはいつものように最悪でした。いつも義務感で無理やり起きます。気持ちのいい目覚めってのは、たぶん来週土曜日までこないのではないかしらん。
そんな中でも読書は続けております。はい。
- 作者: 黒田基樹
- 出版社/メーカー: 岩田書院
- 発売日: 2004/07
- メディア: 単行本
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さて歴史スキーでも太田道灌は聞いた事があっても扇谷上杉氏なんてマニアックで知らない人もいるかもしれません。あっしもこの本で初めて知った事がいくつかあったり。
『南総里見八犬伝』の大ボスは、この扇谷上杉氏の当主定正です。・・・それぐらい?
扇谷上杉氏は、足利尊氏の母の実家、上杉氏の一流で、関東ではなく京都の、丹波に勢力を持った一族でした。関東管領を名乗った上杉謙信をみれば解る通り、上杉氏は相模、武蔵、上野、越後、と関東の西半分に勢力を張る一族です。しかし鎌倉公方足利持氏の引き起こした一連の騒乱、そしてその後遺児たちによる反乱騒ぎに関東の当主である山内上杉氏の当主は暗殺されたり、弱体だったりと、上杉氏を代表する人物ではありませんでした。
そこに登場した上杉持朝という人物が総指揮官を務め、足利持氏やその遺児とそれを支える勢力と戦い続けました。彼が事実上の始祖みたいな感じ。
その扇谷上杉氏の家宰であったのが太田氏なんですが、その出自は良く解りません。とにかく扇谷上杉氏が南関東に勢力を張る立役者になったのは、確か。
が、主家に匹敵する力を持った・・・というよりも一時期は全上杉氏勢力の代表者のような力を持ってしまった太田道灌。道灌なしでは関東の政治は動かないとまで言われた存在になっては妬まれるし狙われるし、まぁ暗殺されるのも仕方ないかな、とは思います。
その後の関東の展開は両上杉氏が争い、その間隙をついて伊豆の伊勢宗瑞、その子の北条氏綱が相模、武蔵に進出。最終的には北条氏康の代に上杉氏は関東での勢力を失い、そして越後守護代である長尾景虎にその名跡を譲らざるを得ない状況になります。
それは一人の人物の暗愚とか、そんなものに帰せられるものではなく、どれだけ支配力を持ち、そして支配下の武士や領民に納得できる治世を、簡単に言えば安全を補償してやれる事ができたか、という事で、上杉氏はそれができなかったから没落したという事なのかな?
それにしても南関東の武士たちの、複雑怪奇な変遷が面白い・・・あっちについたりこっちについたり、そして滅亡したり本家を相続したり。こりゃ乱れるはずだわ。