疲れが取れぬー
ような気がします。早く寝るつもりだったのですが、ずるずると起きてしまって、結局いつも通りな時間に就寝・・・あれれ?
昨日はお祭り最終会議で、景気付けの飲み会だったのですが、土曜日にこさえてしまった靴擦れも痛いし、飲みたい気分でもなかったので、とっとと帰りました。何とか金曜の朝までに疲れを取りたいところ。じゃないとハードなスケジュールをこなせません。途中でマジで仮眠を取りたいところ。
そして昨日読み終えたもの。
- 作者: 武田氏研究会
- 出版社/メーカー: 高志書院
- 発売日: 2010/02/25
- メディア: 単行本
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この本を読んで思ったこと。上杉謙信が義将だなんて、嘘だ。武田と断交した北条と同盟を結ぶのですが、苦戦する北条氏を援護もせず、これで越中方面に本腰が入れられるとばかりに、明後日の方向に侵攻する姿をみると、上杉謙信も自己中な戦国武将なんだと安心しますた。
武田勝頼が長篠の戦で大敗した原因。徳川氏の内訌に乗じて奥三河に出兵したのに、徳川氏が内通者に気づき処罰した為、当初の予定ではなかった長篠城を囲んだこと。そして三年前に信玄が徳川氏を攻撃したパターンを踏襲したこと。三年前は畿内で敵に囲まれていた信長は徳川氏を援護する事ができなかったのですが、朝倉、浅井氏が滅亡し、足利義昭を退去させ、長島一向一揆を殲滅した信長には今度は徳川氏を本格的に援助する事が可能でした。
戦そのものは数が多い方が勝つという単純なもので、後方の自軍の拠点を落とされた武田が防御を固めた織田・徳川軍の拠点に攻撃を仕掛けざるえなかった。一当てして撤退するつもりが、壊滅的な打撃を受けた。そんな感じでしょうか?自分の指示で自在に動く軍隊を育成しようとしていた信玄の狙いは達成できなかったみたいですネ。
他にも勝頼が御館の乱で同盟者の北条氏が支援する景虎ではなく景勝を支援した理由とか、武田氏が脆くも滅亡した理由とか、色々解りました。
基本的に信玄と勝頼との間に行動の差はないです。ただ、信玄の時代に比べて西にある織田信長の力が強大になりすぎ、そちらに向けて力を注ぐべきところを相変わらず全方向への領域拡大を目指していたところが敗因かもしれません。
面白いなぁ。