死刑執行について

 昨日の夕刊に、死刑廃止論者の法務大臣立会いの下、民主党政権下で初めて死刑が執行された、との報道が載っていました。大臣としては死刑存続、廃止の有無を有識者会議とかにかけて話し合いをしてもらいたいところなのでしょうが、事業仕分けで予算が削られている中、そんな事はできず、大臣としての責務を全うするため、そして自らの下した命令書で死刑が執行される事を現場で立ち会うぐらいしかできる事がなかったのでしょう。
 私は死刑存続論者です。他の国が廃止しちゃったから、先進国の中で日本だけが死刑を制度として持っているから、そういう視点で廃止を言う人は、なんだかなーっと思います。
 ただ、ですね、フランス革命中だか何だかのエピソードで、あまりにも大量の死刑を出してしまったので死刑執行人の手だけでは足りずに、ある青年が「じゃあオイラがやってやるよ」と名乗りを上げたらしいのですが、ギロチンの紐を引っ張る、ただそれだけの行為なのですが他人の命を戦場で興奮した状態ではなく、予定として奪う事に予想以上のストレスを受けてしまい、執行直後に心筋梗塞か何かで死んでしまったとのこと。
 あわせてフランス王政下で死刑を執行してきた医者の一族のエピソードも掲載され、その方たちは貧しい人々に無償で治療をする事で心の平静さを保とうとしていたようです。
 考えてみれば現在の日本も、昔聞いた話だと、何人かの担当官が一斉にボタンを押して、誰が死刑囚の足場を落としたのか判らないようにして執行しているとか。
 「命は命でしか償う事はできない」「死には死によってしか報いる事ができない」と思うのですが、さて復讐心にたぎる被害者家族は、復讐の実行者ではないのですよね。やるのは刑務官で職務だからやっている訳で、社会的に相手が不適正の人間かも知れないけど、憎んでいる訳でもない。そんな相手を殺さなければならないって、こいつは大変なストレスですよね。
 死刑存続を唱えるという事は、こういう人たちの犠牲?も考えないといけない訳で・・・いっそのこと、死刑執行は被害者関係者にやらせるとか、そんなのはどうだろう?と思います。死刑を要求した人たちとかね。そうすると命を奪う事を要求した責任を全うする事になるのではないのかなー、などと単純に考えてみました。
 「殺してしまった人は生き返らない」「冤罪で死刑になる可能性もある」「死刑とは、国家による殺人である」という死刑廃止論者の人たちの言葉も理解できますが、死刑が犯罪抑止に必ずしもならない事も判っていますが、しかし社会的にどうしようもない不適合者を刑務所で、税金で養うってのはどうなのよ?とも思う訳です。昔は刑務者の生活費は、彼ら自身が稼いで色んな技術を身につけて出所後の生活に活かすという事もありましたが、今はどうなんでしょう?製造コストが合わないから刑務所に仕事を回さないところが多いのかな?
 そういうのも刑務者の社会復帰を考える上で問題ですよね・・・。