いい天気は今日までらしい
雲ひとつない真夏の晴天・・・とても梅雨時とは思えない。
昨日の衝撃は醒めませんが、その後何か情報が入る訳でもなく、このままでは九月・・・十月からどんなラヂヲを聞けばいいのかとオロオロしております。
とかなんとか言いながら、昨日読み終えたもの。
- 作者: 春名宏昭
- 出版社/メーカー: 吉川弘文館
- 発売日: 2008/12/01
- メディア: 単行本
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この『薬子の乱』、譲位した平城上皇が後悔して権力奪取を図り、弟の嵯峨天皇側がそれを察知して逆転した・・・というのが通説ですが、どうも事実は逆のようです。
マイナーな知名度でも平城天皇は皇位が転がりこんできた祖父光仁天皇や、聖武天皇の血筋を引く弟を排斥し、また皇太弟としてたてた早良親王を謀反人として排除するなど、様々な困難を乗り越えて天皇位を強固にして桓武天皇とは違い、平城天皇は生まれながらに、そして成年に達するや確実に皇位を約束された天皇でした。
困難を乗り越え、遷都と東北征服事業を遂行して圧倒的なカリスマを持つ桓武天皇の権力を、何の疑いもなく天皇位に付随しているものだと思い込み、方向性としては地方行政を決め細やかに行う政治を志向したのですが、お坊ちゃんなので芸の細かさがなく、貴族たちから不信感を抱かれます。
まぁ、そのまま天皇位について政治を行えば良かったのでしょうが、病気を期に太上天皇へ。生まれながら権力を持っているから天皇位を弟に譲っても同じように権力を行使できると錯覚したのでしょうね。現実には天に二つの太陽は不要、とばかりに退位した天皇の手足を奪う行為に嵯峨天皇の側近たちが走ります。
まあ、そんな感じ?
ただ嵯峨天皇、あるいは上皇の時代に平安期の貴族体制が確立したと理解されているようですが、基本路線は平城天皇が示したようで、政治的に対立しても二人の天皇経験者は仲が悪い兄弟ではなかったようです。嵯峨天皇からすると十歳以上歳の離れた権威者だしね。お坊ちゃんだから諦めも良かったよーなので、以外に対立は長引かなかったみたいです。ただ、平城天皇の子孫は皇位はおろか、臣下に下っても権力の中枢には入りこめなかったようで、僅かにプレイボーイとして在原業平がいるぐらいかしらん。
まあ、そんなお話、という事で。なかなか歴史の裏側を見るようで面白かったですヨ。