蒸し蒸し寝苦しい・・・

 ここんとこ寝つきが悪いという事があまりなかったので、昨夜は久々に寝入りが悪く、あんまり気分が良くなかったです。二度寝は安らかにできるのですが・・・何故?
 昨日、よそ様の日記を覗いてみて、なんとか主義という言葉が踊っていて、えーっと、いまどきもそういう事を考える方がいるのかー・・・とか思ったり、いやなんとか主義ってつけるのはイメージしやすくて簡単だからなのかも、とか思ったりもします。
 私はなんとか主義って言葉が好きではないです。なんとかが『共産』だろうと『自由』だろうと『資本』だろうと、好きになれないのです。理由は簡単。なんとか主義って言葉にすると、人はそのなんとかに縛られて身動きできなくなるから。
 十二世紀から十五世紀にかけて、イタリアのフィレンツェでは『自由』という言葉が踊っていました。人々は各階層の『自由』を巡って絶え間なく争い、政体が安定した試しはなく、結局フィレンツェが誇りにしていた『自由』を謳歌していた時代、彼らは平穏とは無縁でした。メディチ家の擬態された僭主制の下で落ち着きますが、メディチ当主が政治的に無能になると彼らを追い出し、『自由』を取り戻しますが、外交も内政も自分たちでは何一つ思い通りにできません。ピサとの戦争は軍事的無能が足を引っ張りフランス王に方をつけてもらう始末。中北部イタリアに覇権を打ちたてようとするチェーザレ・ボルジアには翻弄されまくり、あげくにメディチ家の復活を許し、止めはハプスブルグ家の軍事力によってフィレンツェの『自由』は止めをさされ、トスカーナ大公国というメディチのミニ王国の首都に過ぎなくなります。
 翻って同じ時期都市国家の雄であるヴェネツィア。商人の国ですが資本主義であらねばならないと声高に叫ぶ事もなく、いや絶えずトルコやハンガリーや、そして法王庁やハプスブルグ家、フランス王家からの圧力に対抗しなければならず、常に生存をかけて、交易で生きているので全ての国を決定的に敵に回す事もできず国家運営を迫られたヴェネツィアには主義主張を弄ぶ事は許されない状況にありました。全て現実的で有効な手段をとらなければ、一歩間違えばいつでも亡国の運命が待っているのがヴェネツィアです。
 長く生きながらえるのがいいのか悪いのか。しかしヴェネツィアは十八世紀末、ナポレオンに滅ぼされるまで少なくとも内ゲバがほとんど起こらない安定した国家運営をしていました。
 もちろん絶えず危機にさらされているというは大変なストレスをともなう事です。しかし今の日本の政治家の、いや自分も含めて全ての国民に決定的に欠けているものが、この危機感なのかも知れません。
 何が根本的な問題であるのか、それをえぐりだしている人は、マスコミを含めて誰一人いないように見えます。・・・紙面に踊っているのが政争だけではなぁ・・・
 主義主張は解りやすいでしょうが、本当に大事な事はシンプルでも解りにくいものなのかも知れない。そんな事を考えました。
 うはー、堅い話ほど長くなる傾向になるな、ワシ。