涼しいですネ

 連休からこっち、結構暑い日々が続いたので、これだけ涼しくなると、ちとつらい?
 

 著者が歴史家を名乗る文章は、読みづらい。文章が偏っているというか、激情のままに書いているような印象があります。この方は七十年代まで風靡した左巻き学説が大っ嫌いなようで、まぁ確かに思い込みで論述している部分はあっしも嫌いなんですが、それにしても、読んでいて気持ちがいいものではないですネ。自分も反省しよう・・・。
 ネタ的には色々な論説から引っ張ってきて、中世から近世への、通説を論破しているような感じ?なのですが。引用している中で、日本人の共同体に対する考え方の部分が興味深かったです。人間は共同体をつくり、相互に助け合って近現代まで生き延びてきました。いわば運命共同体であり、その共同体を危険にさらす行為は絶対に忌むべきもの、そして共同体に命がけで利益をもたらす者には厚く報いる、という考え方が、特に自力救済の世の中では浸透していました。
 だから共同体に属しながら少数派になってしまったものは排除され、はなはだしい場合は殺され、財産は没収、遺族も全滅という場合もあり、指導者の身代わりになって刑罰を受けたもの、村同士の合戦で命を失ったり、不具になってしまった者には手厚い保護・・・それは浪人、乞食の場合は村の成員、さらには評議会の一員に入れられたり、遺族にかけられる税を村で負担してやったりと、様々な恩讐があります。
 連帯責任というのも、まさしくその考え方で、支配者階級は積極的に村落の自治に手を出したりせず、村に対して税を課したり、処罰を与えたり、または特権を与えたりしますが、その内部で行われている事には口を出しませんでした。
 それが自由とか権利とか・・・つまりプラスイメージで語っていいものなのかどうか、解りません。言い分が正しくしても共同体の意思に逆らったものは容赦なく切り捨てられ、殺されていきます。それは貧しく、生きていく為にはギリギリの食い扶持で成員を養っていかなくてはならなかった中世の村落共同体にとっては必然でした。内部分裂の危険を抱え込んで生きていけるような、そんな甘い世界ではなかったのですから。
 歴史を振り返ると内部分裂をし激しく抗争する国、家、共同体は、ほとんど長続きする事ができません。外からの圧力に弱くなるし、内部抗争で力を使い果たして自滅したりします。
 『和を持って尊しとなす』という言葉は、観念的な美しい言葉ではなく、生存の為の切実な願いなのだなぁ・・・と感じましたネ。