激しい雨です。
そしてにゃま暖かい。今日はあんまり気温があがらないそうですが、ちょっと荷物が多く入ってきたのでバタバタしましたから、体が温まって・・・つーか暑いので、今のところもーまんたいです。
昨日読み終わったものが、ちょっと刺激的でしたねー。
- 作者: ベアトリス・M.ボダルト=ベイリー,Beatrice M. Bodart‐Bailey,中直一
- 出版社/メーカー: ミネルヴァ書房
- 発売日: 2009/09/01
- メディア: 単行本
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学問的に栄達する事を夢見て、大学の伝でスウェーデンのペルシャ訪問団の秘書、あるいは医師として参加し、その勢いでオランダ東インド会社に就職してインドへ。そこの劣悪な環境に絶望して、極東の日本にたどり着き、そこで限られた時間と場所でできる限りの観察をし、帰国して論文にまとめる。まぁ栄達を求めて政略結婚をしたけど、あんまり実りあるものではなく奥さんを無視し続けた報いを受けて晩年は孤独死って一生かな。
当時の日本は庶民目線で記述された記録があまりなく、支配階級の記録では当時の将軍徳川綱吉は『悪政』をしいた人物として知られています。しかしケンペルの記録に記されている限り、庶民は冗談交じりに「犬殺したら罰を受けちゃう」みたいな話はしていますけど抑圧的な悲壮感というものがあまりないようで、また綱吉に二度謁見したケンペルの評価も「好奇心が強く英明な君主にみえる」。また悪評高い側用人たちも「とても老けている」と評され、当時四十代前後だった綱吉側近の心労ぶりが見て取れるという。
綱吉は前代家綱が病弱を理由に老中、大老たちの会議にほぼ全てを委ねていたのに対して、自身が学んだ儒学的理想を追求し、自身で政治をみようとする意欲的な将軍でした。既得権益を侵された譜代大名の受けは悪い・・・と。それから腕っ節にものを言わせる戦国時代以来の気風を改める為に、喧嘩両成敗理論ですが、全てを法令で裁こうと試みた人でもあります。彼が戌年生まれだから特に犬に的を絞った生類憐れみの令を出した訳ではなく、武士たちの嗜みであった鷹狩りに使う犬が余りに増えて、それを野放しにする傾向があり、それを取り締まる、つまり責任を持って飼え、というのが趣旨だったようです。ケンペルが見るところね。
面白いのが当時の日本では犯罪者のみを処罰するだけでなく連座制で近親、近所住まいも罰せられる仕組みだったのですが、魔女裁判が吹き荒れるケンペルの故郷よりも処刑される人の数は少ないとケンペルの目に映ったこと。また罰金に罪を逃れるという考え方は「それでは金持ちが有利になってしまうではないか」と日本人に非難されたということです。
ちょっと現代日本の法律やら死刑問題やらの事を考えてみたりもします。
百年後にケンペルの著作が入ってきた時、日本人はとても詳しく書いてあるその本を見て恐れおののいたと言いますが、後世の人間からすると異なった視点の記述を残してくれた事は、とても幸せな事だなぁ、と思ったりしますネ。
つまり、こういう事を知ると、忠臣蔵ってまったく感動的な話じゃなくなるのかなぁ・・・ファンタジーなままに止めておくべきなのね。