雨?

 まだ降っていません。これから降るそうです。今夜は何やら何かに参加しなければなりません。何かってなんだ?
 『大名古屋大学』という市民講座?大学のイベントかなんからしいです。地元の『長者町ゑびす祭り』に関して何やらやるらしいのですが、とにかく来てくれ、という事なので行ってきますが、何をやるのかさっぱり。行ってみないと解らない。
 そして昨夜はその『長者町ゑびす祭り』の会議でした。昨年よりも日程が一ヶ月前倒し。一ヶ月早い予定を立てなければなければなりませんね。言ってしまえばそれだけの事ですが、わやくそにならないように今年こそは気をつけないと・・・んで、今年もわやくそならオイラにはもう成す術がないので、退場する覚悟です。はい。もうオイラじゃムリですよ。
 さて、昨日読み終えたもの。

律令貴族と政争 藤原氏と石上氏をめぐって (塙選書97)

律令貴族と政争 藤原氏と石上氏をめぐって (塙選書97)

 石上氏というのはあまり聞いた事がない古代貴族と藤原氏式家の関係を軸に、奈良時代藤原氏が他氏族を追い落としていく時代ではなく、というかまだそんな力はなく、他氏族と協力しつつ藤原四家でも主導権争いをしていたんだよ、というお話。ちなみに石上氏の元の姓は物部、かつて蘇我氏を中心として豪族連合に破れ去った物部守屋の一族です。
 大王家の守護を任じた物部氏壬申の乱後の律令体制に順応しようとしてもがき、政争の中で次第に影響力を失っていく様を描いてもいます。
 読んだ感想としては、学識も常識もあった初代石上麻呂は、藤原不比等に主導権を譲りながらも政界に影響力を持っていました。でも・・・いいとこのボンボンっぽくって不比等の灰汁の強さにはかなわない。そして後継者に恵まれなかった事が一族の衰亡を決定付けたような雰囲気。年上の息子たちが早死にし、三男乙麻呂も、やや性格が良過ぎて政界を単独で泳ぎ切る力がない。だからか、自分の姉妹が嫁いだ藤原式家の面々と運命を共にし、それが石上氏の行く末を決定付けます。つまり桓武天皇擁立に成功する事で式家は政界の主導権を握りますが、有力な(有能な)良継、百川といった者たちが死没すると北家に主導権を奪われます。式家の与党だった石上家も延喜年間に公卿を出した後は衰退していく・・・。
 律令貴族へ変貌しようとして、しかし多数の配下氏族を持つ(百何家もいたらしい)大豪族、物部の末裔である事を意識せざるを得ない石上氏は、官僚貴族になりきれなかったという事なのでしょうか?史書には載らずとも、その末裔は地方で隠然たる勢力を持っていたかも知れませんが、これが古代豪族の典型的な末路かも知れませんねー。
 ちなみに、奈良時代石上氏が争った相手は定説では藤原氏らしいのですが、どうも石上氏は藤原式家を通じて彼らとは関係が良く、どちらかというと臣下皇族の橘諸兄一派と抗争して失脚したり、復活したりしていたようです。なかなか単純でなく面白いですネ。