寒くて雨が降っていますヨ

 あ、読み終わった。

増補検非違使 (平凡社ライブラリー)

増補検非違使 (平凡社ライブラリー)

 検非違使をキーワードに中世における被差別民の社会的役割みたいなものを論じた本でした。時代が下るにつれて役割がどんどん否定されて差別ばかりが拡大されていく、それも明治期以降の方が酷いのかな?そんな事を考えさせられる本でした。中世、平安末期から室町期の非人階級はそれほど自分たちを貶めたり、また外部からも嫌われたりしているようには見えません。あくまでも公的な記録の上なので、個人的な感情は見えてこないので、アレなんですが。
 もともと古代では、非人の中核と呼べるハンセン氏病患者(本当は違うかも知れない)や腕や足を失ったり不自由であったりしている不具者、老いて子供もなく連れ合いもいない寡婦寡夫は必ずしも差別の対象ではなく、身分的にも下等と見なされたものではありませんでした。病を患った人が家長や郷長など責任ある地位にあるのも珍しくありません。
 ところが法華経が伝わり、その中で三宝(仏僧経)をないがしろにする者は病に罹ったり、手足が不自由になったり、寡婦寡夫になったりする、とまぁ呪いの言葉をかけられてしまってから様相が変わってきます。宗教的な罰としてあげられてしまったが故に差別色が濃くなり、それゆえに一般の、一人前の人間が関わるべきではない仕事をせざる得なくなって、より一層差別感が強まるという・・・。
 しかし中世において、掃除をしたり、死体を処理したり(人、獣問わず)するという事は必要不可欠な事で、またその時代の正業というものが朝廷に仕えて官位をもらう以外は、稲を育てて米をつくる、という事がステイタスの一種になっているので、行商など商業に携わる人も、まぁそういう意味では正業についているとは見なされない。だから世の中の蔑視とは別に豊かな人たちの地位というのは、いつの時代でも相対的に高いわけで、非人でありながら土倉を営み、『有徳人(金持ち)』と呼ばれる人もいるわけで、現代的な感覚で捕らえるとまったく意味が異なるという・・・。
 こういう現代との認識のズレが、なーんか面白いと思うのですよねー。