暑い・・・

 いや、別にまた旅行にいったとかそういう事ではなくて、車で配達していたらあまりの天気のよさで車内がサウナ状態になってしまったと。今朝はまた寒くなってしまって・・・気温差が激しいと体調が崩れちゃうよなー、とか思いましてね。
 んで、まだ読んでいる途中なのですが、これはなかなか勉強になるなぁ、という本。

増補検非違使 (平凡社ライブラリー)

増補検非違使 (平凡社ライブラリー)

 一番簡単な説明は、『検非違使』というものは平安時代の警察のようなもの・・・って感じ。まぁそれが私のイメージなんですよ。
 ところがですね、警察って事は罪人を捕らえて処罰するという行為がついてくるのですが、この罪人の処刑は死者を生み出すこと、つまり『穢れ』ですが、平安中期から中世、そして近世に至るまでこの『穢れ』を皆厭い、それを専門に扱う被差別民が発生します。それの彼らを統率していたのが検非違使だったと。
 被差別民というと現代の平等主義からは批判的な響きしかないのですが、汚れ、不浄なものを例え近親者の『死』であろうとも嫌った、ある意味非情な時代にあっては、必然的に発生した人々だったのかも知れません。飢餓や飢饉で農地を失ったり、農地を耕すことを嫌ったりして故郷を離れた人々が、手っ取り早く稼ぐ手といえば、他に誰もやりたがらない仕事だったのですからねぇ。
 この被差別民支配は、時の権力にとってはなかなか重要な事でして、領主に支配されていない人々なので別個に把握する必要があり、その為に被差別民に対する仏事、施しを通じて、彼らの人数を掌握していったようです。そして必要に応じて、清掃、牛馬の解体、皮革商品製作、死体処理、という事に駆り出していたようです。もちろん、そうやって使役する被差別民は『ハレ』を代表する者たちなので、使役する立場の検非違使等から美々しい服装を支給され、物々しい道具を持って随伴したりします。自分で生産物を作り出せない代わりに、支配者から支給されて生活する・・・サラリーマンの源流?
 なので、検非違使という役柄は自前でそういった人々を動員しなければならず、なかなか財力を持っていなければ勤まらないものだったようです。有能で、武力と財力を持ち信用できる者。これがその条件のようで、承久の乱に破れた後鳥羽上皇側の総大将藤原秀康実弟なども勤めていたようです。藤原という苗字だからといって公家とは限らないのでした。和歌で有名な西行も出家する前は検非違使候補になる、かなり有力な武士だったようです。
 まぁ、風流と貧乏人は縁のない関係にあるから貧乏に見せかけても実は・・・って事なんですかねぇ・・・いや、よく知らないですけど。