庭を見ていると、そろそろお湿りが欲しいです。

 でも予報では一週間晴れが続きます。雨マークはまったくなしです。あいやいやー。台風も避けていったしねー。東海地方の話ですが。
 そして昨日読み終えたもの。

三国志 素顔の英雄たち〈上〉

三国志 素顔の英雄たち〈上〉

 元ネタは中国の教養番組らしいです。だから中国での三国志解釈という感じ。学術的なものじゃないよ、と一応著者も断っています。まぁ推測がたぶんに入っているので、エッセイか小説の分類なのでしょう。
 特徴的なのは、曹操孫権劉備諸葛亮、特に諸葛亮への高い評価でしょうか。なるほどこういう解釈もあるのね。
 政治勢力としては別として、政治思想的に曹操の後継者は諸葛亮であり、そしてその政治思想は最終的に歴史的に敗れ去ったというのが著者の見解です。いや、敗れたというよりも早すぎた、という解釈かな。著者の言うところ魏晋南北朝は士族的地主が政権中枢を担っていたそうで、しかし宦官の孫として成長し、軍閥として勢力を拡大した曹操は士族とは相容れず、寒族つまり出身身分が低いものでも能力があれば採用し、彼らを政権中枢に置こうと画策しました。結局それらの階級が未成熟であり制度的にも有効に採用する方法を確立できなかった為に、曹操の死後は士族が実権を握るようになります。九品中正制がそれですネ。
 諸葛亮は蜀の地にあった士族差別を訂正せず、第一に自分が属する荊州閥、第二にその前に益州を支配していた東からの亡命者、東州閥を重視し、地元益州の人間を排除する方向をとりました。孫権は地元士族と一体化する方向を取り安定政権を築きましたが、晩年にはそれを是正する為に陸遜ら江東士族を排除しますが却って政局を混乱させてしまい、呉はその後最後まで内紛に明け暮れる国になってしまいした。他方蜀は地元士族を抑圧する政策を取り続けた為に、魏によって攻められた時にはまったくといっていいほど抵抗する力を持ちませんでした。法の公平によって諸葛亮には不満は向かわなかったようですが、しかし地元士族たちは内心蜀の政府を嫌っていた、という事です。
 家柄や血筋に関係なく官僚となる制度は隋唐時代に確立する科挙で一応完成し、それが完全に定着するのが北宋の時代ですので、曹操はその制度の先鞭をつけようとした、という解釈です。
 他にも関羽はわがまま一杯に育てられた子供みたいなもの、とか魯粛こそ三国時代を決定付け志向させた政治家であるとか、色々と面白かったです。
 ただ、曹操の行動に関しては憶測が多い部分もありますし、献帝から禅譲を受けた魏の文帝が、再三再四拒否している記録は、ただのパフォーマンスで片付けているところとかが気になります。まぁ、これも一つの意見という事で。