今日もピーカンですよ
・・・こういう使い方だっけ?どうも日本語スラングに慣れていません(何年日本人やっているんだよ
朝晩は大変涼しくなりまして、そろそろ扇風機もお役ごめん・・・にするとまた暑くなるんだよなー、と迷うのです。はい。
さまざまなところで選挙の意見やら非難やら罵声やら歓声やらがあがっていますが、まぁこれが小選挙区の特性でありまして、政権交代が起こりやすくある意味はっきりした結果が出て解りやすいですよネ。自分的には自民にも民主にもいいところイヤなところがあるよナ、と思う選挙だったので棄権しましたから何も言う権利はないのかもしれないけれど、消極的な意思表明かも知れませんが、投票しなかった人が何割いるか、というのも十分民意の表れなのではないだろうか、とか思います。つまり「君らの言うことに賛成できんよ、ぼかぁ」という人々がいるという事で。もちろん面倒くさくて投票にいかない人が多いのでしょうけど、そういう意味での棄権もあるのだと言いたかっただけです。はい。
そして月曜日に書く予定だったもの。
- 作者: 家島彦一
- 出版社/メーカー: 名古屋大学出版会
- 発売日: 2006/02/28
- メディア: 単行本
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十五世紀前後まで、つまり『大航海時代』と称されるヨーロッパの進出が行われる前は東アフリカ沿岸からインドに至り、果ては中国広州まで広がる(ローカルな航路で日本にもつらなっている)モンスーン航路のセンターとしての役割を担ったのがイエメンでした。紅海の入り口に位置する地理的条件とオマーンやメッカ、メディナなどのヒジャース地方にまで影響力を及ぼす強力な王朝が出現した為でして、聖地巡礼を信徒の義務としているイスラム教徒としては避けては通れぬ場所だったようです。もちろん勢力争いで敵対する側は紅海からエジプトに抜ける航路ではなく、ペルシア湾からイラク、シリア経由でエジプトに向かうようでしたが、陸路を通る分、有利不利な事もあるわけで、相対的にイエメンの重要さは変わらなかったようです。乳香や没薬といった貴重な特産物も産するようですし。
イエメンが衰退するのはヨーロッパが直接インド、東南アジアと交易したり植民地支配したりし始める十七〜十八世紀なのかな?その辺まで筆が及んでいませんが、しかし知らなかった事を知るのは、面白いなぁと思いますネ。ホント。