凄く蒸し暑いです

 ゆえに寝不足・・・。仕事前に一時間ばかりネットゲーのソロ狩りをしているのですが、意識が朦朧としていました。いかんいかん。そしてもうちょっとで読み終わるもの。

史伝 蜂須賀小六正勝

史伝 蜂須賀小六正勝

 あー、乗っているのか。すごいな、アマゾン。
 在野の史家の方が書いたものであり、かなり高齢の方の、そしてアマチュアの方の文章なので、同じ事が何度も繰り返し書かれたり、自分の研究している史書についてはかなり妥当な事を書いても、それ以外は通説を丸鵜呑みにしているとか、文章的にどうなの?と思う点が多々あったりするのですが、ただこの本、資料的価値が低いと見なされている『武功夜話』を中心に調べて書かれているので、なかなか新鮮です。いえ、偽書という噂を聞いてそれ関連の本を読まなかったので。
 複数の資料の裏づけが取れていないのですが、尾張時代の蜂須賀小六木下藤吉郎の動向など、かなり合理的で時間的にはあっている説明ができます。たとえば、信長の小牧への本拠地移動なのですが、美濃攻めの為という理由付けが通説なんですけど、考えてみれば西濃を攻める為に清洲から小牧に移動するメリットってそんなにないのですな。清洲から見て岐阜・・・その当時は井ノ口、稲葉山城ですけど、それは北西方向です。ところが小牧は北東方向にあって・・・あれれ?
 東濃攻めの為といっても美濃の心臓部はやはり西濃だし、上洛も視野に入れているとしたら微妙な後退ですよね。
 しかし桶狭間の合戦後も信長が尾張一国を掌握できず、濃尾国境の木曽川を活動拠点とする蜂須賀小六を含む川並衆とその流域にある犬山城の勢力が信長の敵対勢力として残っているとしたら、小牧山に本拠を移す合理性がはっきりします。目と鼻の先なんですよ、犬山と小牧は。今も国道四十一号線で一直線で結ばれていますしネ。
 木下藤吉郎の出世の秘密もこれではっきりしてくるし、僅か二・三年のうちに二・三千の兵力を指揮する武将として上洛戦に参加する理由もはっきりします。一千とも二千とも言われる川並衆を配下に持ったら、それまで足軽頭でしかなかった藤吉郎も武将扱いされるというものです。
 裏づけは取れないけど、なかなか興味深い本なのですねぇ、『武功夜話』って。