春眠暁を覚えずどころではないです

 毎日すごく眠いです。早く寝れば問題ないのは理解しているのですよ?(ほんとか)でも体がー、意思がー、とか言い訳していますが、ゲームやっているだけです、はい。
 ポルメリアの物語、次の話にかかりました。また結構すんなりと書けそうな予感です。はい。・・・ほんとかな。
 昨日読み終わった本で、最後の方に戦国期の大名、大内氏の権力構造が書かれてまして、幕府の支配構造を模したシステムが次第に大内氏当主を権力から遊離されてしまった、と。その為に陶氏を旗頭とする各国守護代級の、つまり有力家臣団に反旗を翻された時、軍事力をほとんど奪われた形となってあっさり敗北してしまったと。
 陶氏を始めとする守護代大内義隆を殺したのは、武功派VS文治派というよりも、大内義隆自身が直属の家臣団、直属の軍事力を志向し始めたので既得権利者の有力家臣団と対立する事になったのが原因?みたいな事を書いてましたが、それにしては無防備な大内義隆。自分の権威を過信していたのかも知れません。そりゃそうか。直前まで自分にとって危機的な圧力が有力家臣たちから加えられた訳ではないからなぁ。これを『坊や』ゆえの甘さととるか?常識人なら仕方ないととるべきか?結果論なら『坊や』と評する事もできるけど、やっぱり普通の感覚なら仕方ない不意打ちであったような気がします。
 そのあたりが、真性の戦国大名権力となった毛利氏との違いであると論じていますが、確かに大内氏は在地の一揆とは全面対決していませんけど、毛利氏は旧大内領国に攻め入った時、頑強に抵抗する一揆勢を皆殺しと和睦を使い分けて、かたり手間をかけて平定戦を行っています。
 幾重にも仲介者をもった中世権力の大内氏と、直接領民を支配しようとする戦国権力の毛利氏との違いである、といえるかも知れません。
 ・・・どーなんだろ?