昨日の書いた事とか、ちょろりと考えてみる

 中東戦争の一方の主役となる事が多いシリアは、北朝鮮リビアなどとともにテロ支援国家とか『悪の枢軸』と・・・いや、考えてみるとあんまり賢くない言葉に聞こえるナァ・・・言われていますけど、一方の旗頭であるイスラエルもやはり情報撹乱とか、破壊工作とかそちらの方では有名な国柄で、そして戦場での蛮行は先のガザ地区の紛争を見るまでもなく他の国にひけを取りません。
 正規軍の蛮行は合法で、テロリストの蛮行は違法という考え方は変だと思うのですが、どうでしょう?
 テロとかゲリラというのは貧者の戦争と言われています・・・確かね。つまり訓練された兵隊も、戦略戦術を学んだ指揮官も、満足な武器すら持っていない人々が暴力に訴えると、それは戦争ではなく犯罪であると規定される訳ですね。んで、そういうテロ組織の構成員は交戦規定を定めたジュネーヴ条約を批准していないから、手荒に(非人道的に)扱ってもいいとか思っている気がします。
 確かにテロ組織につかまった敵側兵士が一体どんな目に合わされるかは、彼らが非合法の組織である故に監視も確認もできません。しかしだからといってご立派な正規軍を擁する側もそれに習ってしまったら、憎悪の再生産という悪循環に陥ってしまうのではないかなー、と、ふと思いました。
 いや、何故こんな事を思ったのかと言うと、昨日読み終えた『ヨムキプール戦争』の終盤あたり、エジプト軍は軍の半数がイスラエル軍に包囲される危機に陥り即時停戦を望みます。翻って緒戦の奇襲攻撃から建て直し、シリア軍をゴラン高原から追い出し、エジプト第三軍をかろうじて包囲下におこうとしたイスラエル軍上層と政府は、かなりムリをして停戦交渉を有利にする為に戦闘の継続を狙います。しかし、この十日あまり激戦の連続でイスラエル将兵もエジプト軍の将兵も、もはや疲れ切っていました。イスラエル兵士なんて、一日二十四時間で睡眠と言えるものは僅かな転寝のみ。ほとんどが自分が火達磨になるか、戦友が爆死するか、敵兵士を殺すか、という極限の状況で何十時間も過ごしています。もー、うんざりなんですよね。
 だから停戦が発効した時、エジプト軍のコマンド部隊兵士が「終わったー」といって諸手を上げて喜びます。もう終わったのだからとイスラエル空挺部隊兵士を手招きするんですよね。最初は警戒していたイスラエル側も、結局相手が騙し討ちをしようとしているのではないと理解すると、両軍揃って交歓会とかしちゃうんですよ。まぁ軍事機密とか情報とかは迂闊に漏らさないみたいですが。
 もちろんエジプト軍とイスラエル軍の兵士の顔立ちは似ているし、イスラエル軍にはアラブ語を理解する兵士も多くいます。意思疎通が比較的楽だった事もあります。双方激しい戦いにうんざりしていた事も共通点としてあげられます。それでも殺しあっていた兵士たちが、停戦を敵味方一緒に祝い合うという姿を知ると、相手を人間として尊重する事は、相手にとってだけでなく自分たち自身の自尊心も尊重する事になるのではないだろうかと思うのです。
 あれから三十年、イスラエルとエジプトは大きな戦火を交えていないのですから。
 まぁ、そんな事を思ったりして。