お昼過ぎは暖かくなるようですよ?

 そういう話です。
 昨日考えた事からの続き。
 時代劇とかで、江戸の町の犯罪を同心と岡っ引きが解決する『捕り物帳』というジャンルがありますが、実際のところ同心が熱心に事件を解決する事って少なかったかもしれません。だって人数が百人割っている?ぐらいしかいないのに、数十万?まぁ多く見積もって五十万ほどの町人が住む江戸の町の犯罪を全て取り締まることは不可能ですから。
 そこで『親分』と言われる岡っ引きが存在するのですけれど、考えてみれば『岡っ引き』とやくざの違いってなんだろう?
 どちらも親分が子分を率いていて、町や村のトラブル解決をやります。確かにヤクザというと賭場という連想があるように犯罪とかいかがわしい事に手を染めていそうなんですけど、岡っ引きも恐喝とかを上品にやっていたみたいです。大店の商家とかからね。売春は認可制で限られた場所(吉原、島原・・・新宿や品川の岡場所は認可制ではなかった・・・かな?)での営業が認められているだけでした。夜鷹は非認可?まぁ最下層の差別民で一人前扱いされていない人々ですけど。
 どちらにせよ、ヤクザという存在は公的機関が把握しない、手を出さない治安や秩序維持の民間補完の意味合いが強かったのだと思います。腕っ節で権利を主張するのが江戸期、少なくとも前半期までの裁判形態のようですから、腕に覚えのある若い衆を抱え込んでいる親分は、村や町の名士であり侮れない勢力を持っていたのでしょうね。
 しかし敗戦後、社会は一変します。公的機関は米軍の占領圧力、つまり武力を背景に統制を、武器や治安に関する分野で強化します。なーんか敗戦と同時に自由が解禁された印象ですが、武器に関しては違います。日本では秀吉の時、明治維新の時、そして敗戦時の三度に渡って刀狩りが行われ、最後のものがもっとも徹底された、つまり今の、武器を保持している事が違法であると同時に感覚としても異常なことという認識が生まれました。つまり当事者の威圧や武力で事を決する自力救済が根絶されたわけです。(示談とかありますが)
 これによってヤクザさんたちも岐路に立たされた訳で、示談、自衛といった分野を担い、村や町から報酬を得ていた彼らは、その分野から撤退を余儀なくされ、他の稼ぎを得なければなりません。ここで人脈や若い労働力を集める事に長けた者が戦後復興の土木建築に進出し建設業などの表稼業に転身し、遊興、犯罪行為に稼ぎを求めた者が徐々に暴力団といえるものに変化していったのではないか?なーんて思ったりします。違法とされているものを扱うほど利益は大きいですからネ。
 いや、調べた事と言うよりも感想と言うか空想と言うか、実態はもっと複雑で黒々としたものが横たわっているのでしょうけれども、お祭りとか行政とか、そういうものを垣間見ると意外と身近にヤクザの影というものはありまして、自分たちが思うほど遠い世界の事ではないよな、とか思ったりしました。
 まぁ、公的であろうと私的であろうと、暴力が関わるものというのはあんまり大差ないというのが、感想なんですけどネ。