今日も曇ってる

 夜明け頃は晴れていたのですが、九時半前後の今はちょいと曇っていますね。昼下がりの名古屋は雨の予報・・・今夜は十一月のお祭りの会議があるというのに・・・
 昨日読み終わったものたち。なかなか興味深かったです。

足利義持 (人物叢書)

足利義持 (人物叢書)

大飢饉、室町社会を襲う! (歴史文化ライブラリー)

大飢饉、室町社会を襲う! (歴史文化ライブラリー)

 あ、奇しくも去年の同じ時期に出版されてますね。
 えーっと、どちらも室町時代の『もっとも政治的に安定した時代』といわれる応永年間を中心に扱っています。 
 足利義持という人は、室町将軍の代名詞のような、つまり室町幕府最盛期の将軍、足利義満の息子で比較的影が薄い人なのですが、しかし典型的な室町将軍とでも言える人です。朝廷においては摂関と同格、武家に対しては専制的、しかし、鎌倉府などは対外的な勢力と見て守護大名たちの評定、合議を重んじました。また禅に深く帰依し学識も深く、講義する僧侶のテキスト間違いを指摘するほど。また『能』の完成者、世阿弥にとっては批評眼厳しいパトロンで気の抜けない相手でした。派手好みの義満はかなり鷹揚だったようですが、幽玄好みの義持は褒めたり貶したりと色々口やかましかったようで、それが帰って世阿弥の芸の確立に貢献したようです。
 『足利義持』は人物評伝ですが、まぁ主役をどちらかというと擁護するような切り口ですが、『大飢饉〜・・・』の方は当時の日記を元にして彼がどのように見られていたのかが書かれています。信仰心があり『仁君』たらんとしていますが、その思惑が空回りして、まぁはた迷惑な存在だったようです。責任感は甥、足利義政よりもあったようですので、飢饉によって壊滅的な打撃を受けている社会に対して、お救い小屋を建てたり、『徳政』をしたり、また禁酒令を発して市中の米の量を増やそうと試みたりしています。・・・あんまり有効策になっていないのが哀れですが。
 この頃から日本は貨幣の流通量が増大しているらしく、それまで物納であった税や年貢が銭で支払われるようになってきています。そして地方と都の物価の差が激しくなった頃でもあります。例えば米ですが、完全な消費地である都では米が不足しがちです。その上貨幣経済が進んだということは、都で使役される人々が役(労働奉仕の税の一種)で徴用されていたのが、役自体を銭納で済ませるようになったので、都で生活する荘園領主はその銭を使って使役する人を雇わなければならなかったのですね。
 おりしも室町幕府南北朝の戦乱が収まり、荘園の収入を公家と折半して朝廷との融和に乗り出していました。しかし荘園の人々への負担は変わらず、彼らにしてみれば年貢を納める先に倍になってしまったようなもの。それで自分たちの蓄えを吐き出さざるを得なくなり、天候不順が続いて凶作が続くと食べるものがなくなり餓死してしまう、と。しかし全ての富が都に集まるシステムになっていますから(公家はもちろん守護大名も在京が基本だった)、人々は食う為に都に集まり、そして都では米などの物資が需要超過状態になり、都での物価が高くなる、と。となると投機的な商人たちは都で商品をさばこうとして、田舎で消費されるはずの物品まで都に集まり、地方でも物不足になってしまうという・・・いやぁ、飢餓、不況の負の連鎖ですネ。
 結局のところ、飢餓や疫病で人の数が減り、天候不順が解消されてこの飢饉は終息するのですが、この亡くなった人々を供養する為の念仏踊りが盆踊りの始めであるらしいです。
 この時代は後々の日本文化がほとんど出揃った時代ですが、能だけでなく盆踊りまでがそうだったとは知りませんでした。
 あと、ちょっとした豆知識。日本では味を優先して新米が高いのですが、室町時代や東南アジアの国々では古米の方が高いらしいです。それは味が落ちてもお米を焚いたとき膨らみ加減が大きく、つまりよりお腹一杯になるという事なので・・・今の日本がいかに飽食しているかと言うことが解りますね・・・ええ、月曜日に刺身盛りを残さなければならなかった時は、敗北感を覚えましたよ、あたしゃ。