暖かな晴天は今日まで

 らしいです。洗濯するなら今日です。いや、自分は仕事しているんですがね。
 昨日ようやく読み終えたもの。

ペリリュー・沖縄戦記 (講談社学術文庫)

ペリリュー・沖縄戦記 (講談社学術文庫)

 太平洋戦争時の日本兵の手記というものは、ことに戦闘中の記録というものはほとんどお目にかかった事がありません。捕虜になる事が恥じであると言われ、戦死しなければ非国民扱いでしたから、残された家族の為に死ななければならない状況にあった多くの日本人が、生き残った、つまり『生き恥』を晒した事を記録するのは、とても稀ではないのだろうかと思ったりします。残念なことに。
 なので公に入手できるのは、こういうアメリカ軍兵士の記録がほとんどな訳で、『戦争とは無駄で浪費で無用な地獄』と言う筆者の言葉に引かれて手に取りました。
 父親が医者、兄が将校であった筆者は士官学校に行く事を勧められますが、大戦後期であり「このままでは参戦できない」という理由で一兵卒で海兵隊に志願します。数ヶ月の訓練の後、実戦投入されたのはペリリュー島。聞いた事のない島ですが、日本軍が「バンザイ突撃」という自殺攻撃を厳しく禁止して、組織だった縦深防御戦を行い、つまり初めて近代的防衛戦を行った島でした。・・・大戦後期でようやく目が覚めたというか、情けないというか・・・。
 ここで初めてアメリカ軍は日本軍との熾烈な地上戦を演じる事になります。日本軍は水際でアメリカ軍をたたくのではなく、一旦上陸させてから暫時砲撃を加えて殲滅する作戦をとったわけです。
 考えてみれば、攻撃される事を予想して防御に徹している上陸時よりも、荷揚げして散開しようとしている時を狙った方が効果的な訳で(上陸時の混乱で指揮系統も整っていない)、今までバンザイ突撃で無防備に接近する抜刀日本兵七面鳥撃ちしていた古参兵も、この執拗な攻撃、抵抗に疲弊していきます。
 補給のない、兵をまったくの消耗品と見なしていた日本軍とは比べ物になりませんが、それでもアメリカ軍は兵力の半数を失う大損害を被って攻略します。
 続いて筆者が参加したのが沖縄戦で、こちらは日本国内、それに十万の兵力という規模もまったく違う日本軍が沖縄本島南部に変質的な防衛網を張っていました。つまり沖縄南部を持久戦用の要塞にしていたわけです。もし日本海軍の艦隊が健在ならば優れた防衛戦になったでしょうが、海上戦力はこの時、無きに等しく、沖縄戦はまったくの無駄死に近いものでしたが。
 二つの戦いは人間的な感情を吹き飛ばし、ただ憎い敵兵を完膚なきまでに殺すという事が繰り返されました。日本兵は生きて帰る望みはなく、アメリカ兵の死体に冒涜的な事をしていましたし、アメリ海兵隊日本兵の死体を切りきざみ戦利品として彼らの持ち物を奪っています。
 筆者にしても戦争に英雄的なものは何もなく、ただただ純粋な憎悪に塗りつぶされていく事を自覚します。最初のうちは殺した日本兵にも家族がいるのだろう、と思いをはせるのですが、次第に仲間たちが殺されていく、容赦なく殺されている様を見て、日本兵に対する憎しみを抱いていきます。まだマシだと思うのは沖縄戦で民間人に会った時、筆者は相手を人間として、非戦闘員として扱っているところでしょうか。腹部に傷を受け、助かる見込みのない沖縄の老婆。手振りで殺してくれと頼みます。筆者はそれを拒否して衛生兵を探すのですが、駆けつけた時には別の、指揮官つきの海兵隊員によって老婆は殺されていました。その時の筆者と衛生兵の激昂を知ると、何だか救われるような気になります。
 本当は、こういう本を戦争教育として学生に読ませるべきです。ここには、戦争の醜い実体験が綴られています。比較的待遇の良かったアメリカ軍でこれですから、劣悪な環境にあった日本兵は一体どんな気持ちで戦争をしていたのか、想像するだに悲しくなります。薄っぺらく反戦を叫ばれるよりも、本当に悲惨な戦場を体験した人の話を聞いたり読んだりすべきです。こういう話を読むと、景気のいい戦争の言葉がいかに虚しくて無責任なものであるのか、解る気がします。
 それでも戦争が起こるというのは、これはもう政治の世界の話なのだろうなぁ、とか思ったりして。
 自分としては、これはとても良い本でした。