発光しましたが・・・

 いい天気ですね。ええ。爽やかですよ(乾いた表情で)
 いやネットゲーのキャラが転生して、大変喜ばしいのですが、一つ問題が発生しまして、不死属性なら出血という鬼のようにつらいバットステータスに対して完全耐性が得られると信じ、おいしい狩場に乗り込んだつもりが、出血状態になっているっ! 出血という状態はHPとスキルを使うためのSPが回復しません。そして数十秒ごとに500あまりのHPが減るっ。今のところ解除方法なしっ、という毒のバットステータスの上位バットステ。転生したばかりの駆け出しがくらったら、あっちゅう間に死ぬっ。死ぬっ!!不死属性ならこれに耐性アリという情報があったので、不死属性をつけたV鎧を着せて殴らせていたのですが・・・アテが外れてややショックですよ。ええ。育成計画を見直さなければっっっ。
 それはさておき、読み終えたもの。

桂太郎―予が生命は政治である (ミネルヴァ日本評伝選)

桂太郎―予が生命は政治である (ミネルヴァ日本評伝選)

 この人のイメージはあまり良くありませんでした。「ニコポン宰相」といわれる妥協主義、選挙制度を抑圧する藩閥政治家。
 しかし、評伝を読んで見ると、戦前の日本議会政治において二大政党制の端緒である党を発起し、軍人出身ながら文官による軍部統制を考え始めた政治家であったらしく、明治天皇の死去でイギリス訪問、本人は留学のつもりだったかも知れないのですが、それで議会制君主制というものを学んだならば伊藤博文と並んで日本の議会政治の基礎をつくったかもしれない人でした。
 当時の政党、政友会はどちらかというと積極投資のアメリカ共和党に近く、桂さんは健全財政を目指すのアメリカ民主党のような政党を思考していたようです。第三次桂内閣が50日でつぶれた後に政党を作り始めたので、世論的には「悪あがき」にしか見えなかったようです。皇室を盾に政治を行う宮廷政治家、あるいは藩閥政治家、というのが一般認識だったようなので。
 もちろん明治期はそれが機能したのですが、大正になり明治天皇ほどの権威を大正天皇がもてなかった(若かったしナ)ので、桂さんが己の恣意私欲で天皇を動かしていると見えたのでしょうね。彼がイギリスに留学し、議会政治を勉強していたならば、もう少し違った事になったかもしれません。藩閥政治家でありながら、それを壊そうと試みて元老山県とも確執が起こったようですしね。敵を作りすぎてこの人の長所であるはずの楽天主義裏目に出て晩年失脚したようです。
 この人の作った立憲同志会はその後、大正から昭和初期にかけて政治をリードする二大政党の一角に、変遷改称を重ねながら成長します。その後継者の一人、浜口雄幸の評伝を読んでいますが、ふーん、田中義一という人も本質的にはリベラル、海外協調派だったのね。ふーん。
 何だかやっぱり第二次大戦って軍部と世論の暴走って感じがしますね。それが正しいと思って皆やったのでしょうが、テロリズムに走っている人はやっぱり好きになれんなぁ。いや、浜口さんも東京駅で殺害されていますからネ。