梅雨っぽい天気になりました。

 これから一週間ほどこんな天気だそうです。あうあう。
 東シナ海のガス田で一部中国と妥協が成立したようです。まぁ落としどころとしては、そんなもんでしょう。中国相手の交渉はこんな風にやるしかないですから。
 学校の屋上の天窓から小学六年生の男の子が墜落死した件。その場の情景が目に見えるようだ。きっと活発で(ということはいたずら好き)陽気な(ということは騒がしい)男子児童だったのでしょうね。引率教師が危険だから近寄るな、と釘を刺しておけば責任問題も軽くなったかも知れないけど、言わなかったらしいので、その教員が責められちゃうんだろうなぁ。子供の事故死が後を絶ちませんってマスコミは言うのだろうけど、そもそも子供は事故死しやすい存在です。当たり前だわな。好奇心が警戒心に勝るのが子供だもの。引率する大人が気を気をつけなければならないけれども、子供にも、こういう事をしたら危ないのだ、という事を親が事ある毎に教えていかないと、なかなか子供は危険に対する警戒心を持たないものだよなー、とか思います。
 記者会見とか見ていると学校側っていつも平謝りで、確かに問題を最小限に収めようとしたら、ああいう態度を取るしかないんだけど、でも一方でそれは親を増長させて子供の躾を学校任せにしちゃう事になるんだろうなぁ。とか思ったりしたりして。
 そういえば昨日読み終わったもの。

 明治天皇の評伝ながら、その側近たちのお話がメインにような気もする。意外に思ったのが明治の元老の中で文官の実力者たちが立憲君主制を目指し、明治天皇もそれを目指していたこと。軍人系のものたちが内閣から独立する為に天皇統帥権を盾に本来行政府の陸軍省海軍省の統括であるはずの参謀本部や軍令部をあたかも天皇直属の独立したもののようにしてしまった事が印象的でした。あと朝鮮総督になり安重根に暗殺された事から、なんとなく強硬派のイメージのあった伊藤博文が、どちらかというと妥協派であり明治天皇憲法の下で国家統治の象徴となるべき君主像を期待し、天皇もそれに応えたというところが新鮮でした。
 ・・・やっぱり、日本軍国主義の基は軍人系がつくっていったんだなー。まぁ明治天皇も大正、昭和天皇の教育を実地ではなく観念重視でやってしまったが為に、本来期待された天皇の調停能力が二人の天皇の時は低下してしまったという解釈もありますが。
 なーんか、やっぱり日本が軍事アレルギーになっているのは、軍人が暴走したからなのだと改めて認識しましたね。
 さて、消費税増額問題がありますが、これは官僚の暴走にならないでしょうね?