曇っています

 ここにきて、ラウルくんの原稿が転がるように進み始めました。何故?それはきっとオンラインゲームでの心残りがなくなったから・・・(オイオイ
 七月に名古屋コミティアの申し込み用紙と一緒にヨ志ノリさんところへ持っていけたらいいなぁ、とか思いつつ書いてます。今のテンションなら大丈夫そうだナ。
 そういえば、これは噂なのですが、名古屋コミティアは来年の三月から名古屋に戻るそうです。今までは名古屋といいながら刈谷でやっていましたからのぉ。んで、ここで問題が。今まで名古屋市外でやっていましたから駐車料金が比較的安上がりだったのですが、名古屋市内の施設を使うとなると、場所によっては駐車料金がべらぼーな事になってしまう。ひー。特に市公会堂なんて・・・ひー。いや、具体的な料金は怖くて調べていないけど(おい
 まぁ、名古屋に戻ってきた事を名古屋市民として祝ったりするなりよ。
 そういえば昨日、宮崎勤死刑囚の死刑が執行されたそうですが。裁判に十七年かかり、執行に二年ちょっと。こちらの感覚からすると、まだ生きていたのか、なーんて思うのですが、またまた死刑温存派、廃絶派の論争が出てきますね。読んでいると、この人たちはこういう主張を売って日金を稼いでいるのではないかと、黒いことを考えたりして。
 私は死刑支持派です。刑で犯罪を抑止できるとは思っていません。ただよほどの事がないかぎり、人の命は人の命であがなわなければならないのではないか?と思うのです。本当に犯罪を抑止するのは、一人一人の良心です。それは、犯罪を犯した場合、残された家族、親類縁者はどうなるのか?という想像力でもあります。そんな人たちを思いやる心です。それがない人間は、どんなに刑罰が重く恐ろしくても犯罪を犯すでしょう。
 良心とは幸せな幼年期に育つものじゃないかしらん、と思ったりします。だから宮崎死刑囚の幼年期は一体どうだったのだろうか。どんな子供時代を送ったのだろうか。そんな事を考えます。
 ただ幸せという基準は人それぞれなんですよねー。自己中心主義に陥らない心とは、どうやって育まれるのでしょうか?それが犯罪抑制の鍵だと思います。だから教育研究分野には積極的に予算を回すべきだと思うのですがネ。
 結婚していないから子供いないけど、姪っこズや年下の従弟たちの相手をさんざんやっている人間なんですが、家庭環境がうまく行っている大概の子供は笑っています。幸いにしてうちの親類縁者には不幸な子供はいません。無表情で無反応な子供が一人もいない世界なら、犯罪は減るのではないかと思ったりします。
 残念ながら法律違反が犯罪なら、犯罪はなくならないけどネ。人の作った規範を踏み外すなんて、簡単だもの。