神戸そうさく畑、ありがとうございました。

 五日は従弟の結婚式、六日は神戸そうさく畑と充実した週末でした。
 五日は、やることもなしでどーするよ?って日になるに違いないと思っていましたが、意外に懐かしい方に会えたりして面白かったです。とはいえ、やはり実感として結婚式はともかく披露宴部分の主役は新郎新婦のより親しい人々なのだよなーっと。大学時代の友人が式だけ親戚のみで、披露宴とかは全て二次会という事でまとめて自分の友人知人を(ほぼ)全て呼んでやっていましたが、それはある意味正しいのではないかと思いましたよ。
 神戸そうさく畑も、何年かぶりに会えた方もみえて楽しかったです。実は参加している同人誌イベントの中で畑が一番好きだったりする。顔を見た事のある方とか、話をする方とかが色々見えてネ。東京でもそうさく畑が復活すればいいのになぁ、と思うのですが、色々な事情が上手いこと絡みあってくれないようです。いやんネ。
 神戸の中華街は一年ぶりである事と、中国食材農薬混入事件のせいでやや人が少なめでした。前あった建物が壊されて駐車場になろうとしていただよ。大丈夫だとは思うけど輸入食材は手が出せず、結局台湾産のお徳用烏龍茶と度数の高い中国のお酒だけ買いました。四川の火鍋用の調味料とかおいしそうだなぁと思ったけど、もう鍋の季節じゃないしナ。
 夕飯はカレービーフンを食べましたよ。すすらずに食べた。なるほど、こういう食べ方もできるのだのぉ。一口はいる分だけ箸でまとめてつまみます。これはなかなか上品だわい。すすると勢いよく飲み込んでしまって、実は胸元が苦しくなっちまったりするんですよ。これは安全な食べ方だなや。しかしうどんや蕎麦はこんな食べ方はできないから、やっぱりすする事になるのぉ。
 そして先日読み終えたもの。

ポーランドの歴史 (ケンブリッジ版世界各国史)

ポーランドの歴史 (ケンブリッジ版世界各国史)

 以前からハプスブルグ家や神聖ローマ帝国絡みでチェコハンガリーの歴史を読んでいると、ポーランドは東欧の大国というニュアンスで語られる事が多いのですが、実態はリトアニア(大部分は現在のベラルーシウクライナ)との連合体で、しかも大小どころか零細も含めた『貴族』の連合体で、世襲時代でも国王には強力な権力はなく、また人口密集地帯も中世を通じてあまりなく、『大国』というのは領域のみの事、という感じ。
 国内の『貴族』たちが自分たちの『自由拒否権』を保持し続けて、国王を選挙制にして事実上骨抜きにしてしまったために、西のブランデンブルグプロイセンと東のモスクワ・ロシア、そして南のハプスブルグ家が安定した勢力になると、もう切り分けられるパイ状態になってしまうという・・・。
 個人の自由は大切だけど、国家が外敵に対抗する為にはその『自由』が障害になってしまうという典型的な例です。古来、この両立を皆模索し続けて今日に至っているのだなぁ、と思いました。
 ちなみに、現在のポーランドポーランド人国家といえるのは、皮肉にも第二次大戦後にソ連に東のベラルーシウクライナを切り取られて西で東ドイツから領域を得、ポーランド人が追い出されて移住したのでポーランド人が圧倒的多数を占める『国民国家』になったらしいです。第一次大戦後に独立した時にゃ、ポーランド人が過半数を占めても、ドイツ人を初めとする少数民族の数も結構いて国が不安定になる原因だったらしいですから。
 漠然とポーランドという国にはポーランド人がいて、彼らのみが歴史をつくったのだと考えると間違えちゃいますねぇ。