穏やかな日和になるそうです・・・

 最高気温は17℃になるとかならないとか。今夜はお花見なので暖かくなってもらわないと寒くてかなわないですぞよ。
 五月五日の東京コミティア受かりました。配置された場所がお誕生日席なのは、いつもの相方のおかげ?それともいじ・・・げふんげふん!!いずれ正式な告知をインフォに出しますが、とにかくよろしくお願いします。
 先日読み終えた李氏朝鮮最後の王、高宗の評伝について。

高宗・閔妃―然らば致し方なし (ミネルヴァ日本評伝選)

高宗・閔妃―然らば致し方なし (ミネルヴァ日本評伝選)

 興味深いのは李氏朝鮮、韓国という国が日本人が思っているよりも簡単に日本の植民地になってしまったのではないということ。そして高宗という国王の性格、能力というものが良くも悪くもそれに影響を及ぼしている・・・というか、高宗の個性によって韓国の将来が決定付けられたといっても過言ではなかったという事、でしょうか?
 当時の日本と朝鮮を分けたのは、欧米船がやってきた時の対応の違いでした。オランダ商館からヨーロッパの情勢をとりあえず知ることができた日本の江戸幕府は、あっさりと開国を決定し、孝明天皇に代表される『南蛮アレルギー』を克服する事によって近代化を進めました。
 対して朝鮮は、高宗の父が実権を掌握している時代にヨーロッパ船を撃退しているのです。もちろん、この時のヨーロッパは朝鮮よりも中国の方が旨みがあるので、朝鮮に具体的な軍事力を割く必要性を持っていなかったからですが、この事が朝鮮の支配階級にとって自信になった事は間違いないです。
 ところが、この日本では大院君として知られている人は、朝鮮の旧来の支配秩序を破壊させる方向で朝廷を強化しようと試みた、なかなか特異な人物でして、しかも灰汁が強い。成長した高宗にとっては、朝廷において正式な官位を持たず、ただ国王の父親の資格で朝廷を牛耳る彼の存在が面白くない。
 ということで反対派を組んで父親を政界から追い出すのですが、その後にとった政策は儒教の教えに基づく時代錯誤なものばかりで、長年の圧制で弱体化していた朝鮮経済を更に悪化させる事になります。本人は良かれと思ってやったのですが、まぁ儒教をそのまま実践して国が治まった例は、私が知る限り一つもないので仕方ないよね。
 そのうちに、父親が整備した軍隊が給金の滞りを理由に反乱を起こしたり、生活苦から民衆が暴動を起こしたりと自分と自分の家族に危害が及ぶようになります。この頃から高宗は『善政』に対する熱意を失い、ひたすら自分と自分の家族を守る為の行動、政治を行うようになります。そして自分の専制君主としての権限を犯すものと戦い続ける事になります。外国からの干渉、権限を内閣・・・つまり臣下に下ろそうとする国内の勢力、反乱を起こす軍隊や民衆、それらが全て彼にとっての敵になったのです。
 その時々によって敵を変え、味方を変え、ご都合主義で自らの権力確保をはかったものだから、李氏朝鮮から大韓帝国に国号を変更し、自らが国内に対して絶対権力を握った頃には、韓国の経済力はもはや自立を許せるものではなくなっていました。折り悪く日本とロシアの極東アジアにおいての覇権闘争が激化し、自衛力のない韓国では永世中立など不可能。日本の影響下にありながらロシアと交渉を持ち、両者の力の均衡の上に自分と韓国の居場所を求めましたが、日本が日露戦争に辛勝した事により状況を一変。更に、高宗の秘密外交によって翻弄される事を嫌った日本が外交権を奪って保護国化したのが最初でしたが、日本人暴徒に最愛の妻を殺された事がある高宗は日本政府に対しても信頼を持っておらず、やっていないといいながら秘密外交を展開、日本政府もここにおいて高宗、ひいては韓国そのものに対する不信感から内政も支配し、更には併合まで進むといった事になりました。
 もしも高宗という人が自らの臣下を信じて朝鮮、韓国の自立の為に自らの権力も放棄していれば歴史は変わったかも知れませんが、末期の李氏朝鮮はとてもそんな状況にはなく、王家に実権はなく幼少で位についた国王が続いた為に、その時、その時の王妃の一族がかわるがわる実権を握るという混乱した政争を繰り返していましたから、まず自分たちの身を守る事を第一に考えなくてはならないし、更に儒教の教えで育った彼に『君臨すれど統治せず』式の近代君主制は馴染めなかったでしょう。それに外国の知識は限られていたから、よほど勉強しなければ情報を理解する事もできなかったでしょうし、国を強くする事が、すなわち自分たちの身を守る事につながるという発想にもならなかったかも知れません。
 独裁権を握った彼は多額の軍事費を投入しますが、そもそもの経済規模が日本の数分の一にまでなっていた状況では自前の軍事力を構築する事さえできませんでした。
 何が良かったのか悪かったのかは、歴史に対して言っても仕方ない事です。後付の知識でなら何でも言えるもの。
 その後日本と韓国が歩んだ歴史の違いというものは、中国を宗主国として仰いできた韓国と、離れ島国で比較的大陸の情勢とは無関係でいられた日本との違いなのかも知れないと、思ったりしますヨ。