昨日はお疲れ様でした。

 午後から雨でしたが、名古屋コミティアお疲れさまでした。
 お昼を食べてからいつものように爆睡モードですんまそん。いつものことだナ。
 さぁ、次は神戸そうさく畑だ。なかせさんから阪急の地下にみょうちきりんな銘柄の酒を飲ませる餃子屋があると聞き及び、行ってみるべしと気勢をあげて昨日は終わりました。名古屋コミテイアはアレですが、神戸のそうさく畑は盛況です。黒字だそうです。んじゃ年にもう一回やってよー!!とか思うのですが、東京での開催には色々と企業事情があるらしいので、その問題をクリアしないと難しいのでしょうかねぇ。いや、そうさく畑実行委員会は企業じゃないけど、一度赤ブーブー社という、そうさく畑の責任者の方が勤めている会社が噛んだ事があって、その絡みでごにょごにょらしい。色々アリマス。
 先日読み終えたもの。

文禄・慶長の役 (戦争の日本史16)

文禄・慶長の役 (戦争の日本史16)

 現在のところ太閤秀吉の政策の『汚点』という認識の強い事柄ですが、現代的な視点を排除すれば『戦争の拡大と利益追求』が根本にあったのかも知れません。
 織田信長に始まり豊臣秀吉に受け継がれたいわゆる『織豊政権』の特徴はバブル期のようにいけいけドンドン!!と配下の武将たちを働かせ、その褒賞を保障し、それをもって政権の求心力にしていたのではないかと思います。いわゆる『創業期の熱気』みたいな?
 前近代の時代ですから、人種、国家の垣根というものを考えておらず、かなり天真爛漫に当時の明王朝の『東アジア秩序』に挑戦し破綻した、というのが近いのかしらん。朝鮮半島の人々も人種や国家よりも前に、侵攻してきた日本軍は現在の朝鮮王朝と比べてマシなのかどうか?という基準で応対しているようです。しかし戦国期の日本と16世紀の朝鮮半島では支配原理が異なるので、結局摩擦を生んだようです。結果は惨憺たる戦いの日々・・・。もしも日本側が天真爛漫ではなく、計画的に侵攻していたら、当時民衆に圧制をしていた李氏朝鮮は破滅していたかも知れません。まぁ計画通りに物事が進行するなんてことは、まずありえないのですがネ。
 どうも戦国大名たちが真面目に殲滅戦を挑んだのは日本においても惣村、惣国一揆のようで、見せしめの為に一か村を殲滅し、それで一揆がどう出るか様子を見るという戦法を朝鮮でもやってしまったようなので、そりゃあ激しく抵抗するわな。日本と朝鮮では落としどころが違うのだもの。
 今読んでいるのは、李氏朝鮮末期の国王、高宗のお話。合わせて考えると面白かったりしまする。