雪がちらついていますよ

 昨日は三重方面で雪が積もり、運送機関が混乱していたようです。いや、物流か。トラック便が昨日ではなく今日届いたものもあったので。
 今日は名古屋が雪が舞っている状態。積もらないとは思います。風花程度だから。しかし、この中を自転車でメーカーの展示会へいくのか・・・まぁ、いいんですけどー。
 今、平清盛の本を読んでいます。平家の繁栄と没落寸前までの当主でしたが、この人について知れば知るほど、武士というより貴族なんですな。それは源頼朝についても言えるのですが、どう考えても貴族階級の人です。特に清盛は白河法皇のご落胤という噂があり、それが出世に大きく作用したのは間違いないです。しかし武家の棟梁の見なされるには多くの武装した豪族を組織せねばならず、その為には財力が必要・・・平安中期から受領層といわれる中級貴族たちは税を地方で搾り取り、それを有力公卿に献金する事で自己の出世を謀っていました。平氏や源氏、そして秀郷流藤原氏などは在地勢力との争いに打ち勝つ為に軍事力を培ってきました。それの比重が大きいかどうかが、中央中級貴族と軍事貴族との差であったのでしょうね。
 殿上人となるにはそれなりの家柄が(先祖の官位が)必要になってきます。源頼朝征夷大将軍になるのはともかく公卿格になる家柄ではなかったのですが、関東を中心とした武士の軍事力、平家や奥州藤原氏を滅亡させた軍事力を朝廷への政治的圧力に変えて、武士たちの意見の代弁者として地位を確立したのではないでしょうか?なーんて思ったりする。
 それが平清盛源頼朝の政治手法の違いであったのではないかなーと。
 のちの足利尊氏も基本的には源頼朝の手法をとっていますが、頼朝の時とは違い南北朝と朝廷が分裂し、朝廷の財力そのものが、つまり政治力がそれだけ低下してしまったので、室町幕府においての武士はより高位の官位につけるようになりました。この頃から武家の台頭といってもいいかも知れない。
 そして戦国時代、最終的に全国規模の政治勢力となり天下を握ったと目される織田信長は、祖父以前の先祖さえはっきりしない豪族でした。現在の系図平氏という事で伝わっていますが、それは信長が変更したせいです。最初は物部とか藤原とか、てきとーな事を言っていました。秀吉も自分の祖父ぐらいから苗字を持っていたら、きっと平氏とか源氏とか藤原氏とかてきとー言っていたでしょう。できないから豊臣という新たな姓をこさえたわけですな。確証はないけど諸大名はこの苗字というか羽柴という苗字をもらうのを喜んだかも知れない。秀吉は朝廷の秩序を利用し尽くした人ですから、自分にはない権威を朝廷に求め、そして大名たちは朝廷の権威わありがたがっていましたから。
 徳川家康の源氏というのも眉唾。だいたい新田系の得川氏は存在するけど、トクの字違うし。
 徳川幕府は豊臣家に習って有力大名に『松平』という自分の以前の苗字を与えましたが、こいつはすこぶる不評だったらしい。まぁ源氏を名乗っていても素性が解らない、三河の山奥から出てきた豪族の苗字だということは解り切っているので、島津とか、伊達とか明確に系図を遡る事のできる大名は迷惑だと思ったでしょうね。
 まぁ、支配における貴種性というのは、大変重宝なもんなんですな。