まだまだ寒いです

 日が照っていると暖かいのですが、風があると寒い(当たり前
 車の件はまだまだ先へ進みません。まぁ仕事に差支えがなければいいのだけれど。
 先日、第一次世界大戦とか大正デモクラシーあたりの話が載っている本とムック本を読みました。ムックの方は大戦前期のお話が中心で続刊があるのですが。
 第一次大戦という戦争は、誰もがこんな大規模かつ大量殺戮の長期戦になるとは思っていなかった戦争でした。バルカン半島問題(現在もなおくすぶり続けている問題)に端を発したオーストリアハンガリー皇太子殺害事件。実行犯がセルビア人であったためオーストリアハンガリーセルビアに強圧的な要求をし、戦争準備ができていなかったセルビアは(その前に二回もバルカン戦争という戦いをしている。戦勝国だが財政は火の車)一項を除いて受諾するも、オーストリアハンガリーは拒絶とみなし宣戦布告。スラブ系国家の利益擁護者としてバルカン半島に影響力を持つロシアがただちにセルビア援助の為に動員。これを見てドイツも同盟国オーストリアを助ける為に動員。ドイツの行動には、当時ロシアと同盟関係にあったイギリスが動かないという誤報があったためといわれますが、どちらにせよ、巨大で精緻な兵員動員システムを構築してしまったが為に、一旦動員令を発すると撤回は不可能という事実を、実はどの政府関係者も理解していなかったらしく、誰も予想しえなかった戦争が始まってしまったのでした。
 戦いが会戦で勝敗が決する事がなく、塹壕で相対する果てしない消耗戦に陥ったと聞くと、何だかのんびりしているように思えるのですが、事実は塹壕の中でいつ始まるか知れない敵の砲撃、攻勢に怯えながら、長時間の緊張を兵士たちに強いるもので、銃後の熱狂とは裏腹に前線の兵士たちは自分たちの命がすりつぶされていく環境に嫌気がさしていたようです。
 また戦争指導も技術の発達に高級指揮官の指揮能力が追いついていない状況が続き、これも長期化の原因の一つのようです。他方、戦争や外交に関する意識も変わり、日本などはそれに乗り遅れたらしいです。まぁ欧米は強盗殺人者という意識があり、力でなしとげた事は誰にも文句をいわせねー、という思想が十九世紀を支配していたのですから、日本がその思想どっぷりで第二次大戦までいってしまったのは、ある意味理解できます。・・・世間知らずって感じもしますがね。そのせいで中国関係は決定的に悪化。時代の流れからも財政上の問題からも植民地はゆっくりと手放し、経済的支配のみ行うとかそういう方法もあった筈ですが、軍部に引きずられる感じでいっちゃったって感じですね。・・・やはり世間知らずか。
 華々しい話題の多い第二次大戦と違い、今までじっくり読んだ事がなかったので、少し新鮮です。