あっと、昨日読み終わったもの

 古代日本と東アジア、主に朝鮮半島の動乱について書かれた本を読み終えました。古代日本史については、まだまだ確定された説というものが存在しないようですが、今回読んだ本でも新しく解った事が色々ありました。
 まず、百済新羅がやたら日本・・・当時の国号は倭ですが・・・にへりくだっていたわけ。
 当時朝鮮半島南部に位置した両国は、互いに未統合の南部小国群を奪い合い、また北の高句麗からの圧力に対抗していました。新羅百済ほどではないのですが、百済は先進文物を倭に伝えて、代償として軍事支援を求めていたようです。
 とはいえ、当時の倭は大変未熟な国家・・・というよりも豪族の寄り合いに大王が乗っかっているという状態でして、そう大して有効な軍事力を持っていた訳でもなさそうです。指揮系統の一本化すらなされておらず、国内の戦いについても物部氏蘇我、中央豪族連合軍の戦いでも蘇我氏側は多くの味方を得たためにかえって統率できず、逆に兵の家とはいえ少数の物部氏の方が効率良く戦う事ができたようです。
 時代が下って唐・新羅連合軍に百済が滅ぼされ、そして復興百済に出兵して大敗した白村江の戦いについても同じ問題を克服できず、惨敗しています。そのまま唐や新羅が倭に攻め込んできたら、倭は悠長な事など言っていられなかったようですが、当時の国際政治、また中国から見てド辺境にある立地条件が幸いして、そして最も大きな要因は朝鮮半島を統一しようとする新羅が唐と戦争を開始してくれたおかげで、倭は国際政治の荒波に晒されることなく、そして新羅が倭を中立化させる為に下手に出てくれたおかげで、自尊心を損なわず、のんびりと律令国家に転身する事ができたのですな。まぁ壬申の乱とかがあって、とてものほほーんとできた訳ではありませんが。
 平穏である事は望ましいのですが、ここで倭=日本が東アジア政治の荒波にもまれていたなら、その後の歴史はどうなっていただろうと思うと、面白い気がします。この頃の日本は引きこもり内弁慶みたいですネ・・・ちょっと違うか。