おかしい・・・

 早く寝るつもりだったのに、寝床に入ったのはいつも通り・・・何故?ゲームをやるとついつい過ごしてしまいますね・・・成長しないな、オレ。
 今夜は早く寝よう!!(はいはい
 本願寺のつづき。
 いわゆる『石山合戦』と呼ばれるものは本願寺が大坂の石山本願寺を明け渡す事で決着がつきます。この和議の時に信長が朝廷を持ち出さざる得なかった事は、信長にのって朝廷に対する政治的敗北であったー・・・って主張する意見もあるのですが、本願寺を信長が殲滅する必要がなかった、という立場から見ると事情が変わります。
 本願寺派は時の権力者と密接に結びついて反映してきました。戦国末期の権力者は足利義昭であり、義昭と信長の抗争は見方によれば、その政権内の主導権争いであります。十五代続いた足利将軍の権威によって信長包囲網が形成されていたのですから(本願寺もその一翼ですが)、戦の結果次第では主導権を義昭が握る可能性もあったのです。もちろん第一実力者を排除すれば不安定化して政権を握るなんて事はいえなくなるかもしれませんが。
 本願寺の目から見れば朝廷とも関係を持ち、伝統的に権威を持つ足利将軍に従う事に異論はなかったはずです。加えて織田信長はできぼし大名です。父親の代でようやく尾張を掌握する実力を蓄えた新興勢力。しかも本拠は近国とはいえ畿内ではない。そして武家としては最高の権威を持つ征夷大将軍の呼びかけを拒否して信長と和睦するには、朝廷という将軍を越える権威を仲介してやった方が本願寺も飲みやすかったと判断したのでしょう。
 信長という人はかなり判断の早い人で物分りも早い。畿内を制圧し、毛利の援軍を断った時点で石山本願寺は孤立したのですから、そこで和睦しやすい条件を整えてやれば折れると判断したのでしょう。
 信長にとって本願寺は強力な宗教団体であり、敵に回せば恐ろしく味方に回せば領国支配が簡素化できるという利点がありました。落とし所を見つければ妥協が成立し、折り合う事のできる相手なら信長はいくらでも折り合いをつけました。本願寺の教えに聖俗を分割するというものがあったから、そこで妥協が成立したのでしょう。石山本願寺明け渡しは最期の和睦の際に盛り込まれたもので、必ずしも信長は大坂を欲しがった訳ではなく、ただ目に見えて本願寺派織田家に屈した形が欲しかったから要求したのではないでしょうか?本当に欲しがっていたら性急な信長の事だから、焼け後にとっとと城砦でも築きそうですが、大坂城をこさえたのは秀吉ですしね。
 ああ、まだ書きたい事があったが、これまでか。明日は一日D&Dセッションなので覚えていられるカナ?