くたばっていました。

 二日ほど、案の定の発熱で寝込みました。ダメじゃん!なので今日から仕事始めだったりする。ダメじゃん!
 寝転んでいる間に内田百輭の戦後日記を読み終えました。何やっているんだか・・・いや、発熱していても寝付けないので読書するしかないと、ね?
 日々のお金の事とか、食べ物の事とか、それにもまして最優先で調達される麦酒や日本酒の話とか。腎臓を患った知人を支援する為、少なくない金額を入院費や治療費として与えたり、シベリアで戦死したと思っていた人が帰ってきて喜んだり、家が焼けて掘っ立て小屋で三年暮らしているので、雨が降ると閉口するとか書いていますが、気になったのは奥さんの名前が変わっている事。
 前は清子だか町子だかの記載だったのに、今回は『こひ』になっている?
 そして日記での子供たちへの言及が少ないこと。特に長男が夭折してからは唯一の男子である唐助氏に対し、就職するなといった先に就職したので、そこを辞めるまで出入り差し止め、などとかいている。
 『こひ』という女性は、ちょろりと読んだけど忘れてしまったのですが、内田さんの再婚相手の方で、最初の奥さんが亡くなってから入籍しています。借金で首が回らなくなり官立の学校の教授を辞めざるを得ず、家族と離れて彷徨していた時期が内田さんにはあったのですが、その頃に知り合ったのが『こひ』という女性らしい。晩年の再婚相手という事で、「ほー」ぐらいにしか気にとめていなかったのですが、奥さん存命中から二人で暮らしていたのは知らず。そしてその奥さんは唐助氏と同居していたようなんですね。
 その辺の事情がなんとなーくつながってくると、なんだよ内田さん。随分火宅の人やんけ。我がままとかのレベルなのか?とか思ってしまう。
 確かに人間だれしも冷たいところはある。自分だって人に色々冷たい仕打ちをしてきている・・・と思う。しかし完全に離縁した訳でもない前妻(と呼んだ方がいいだろう)と同居する我が子に出入り禁止を申し渡し、違う知人には援助するって、いったい・・・。
 まぁ、前妻の方から内田さんに愛想つかしたというなら話は解りますが・・・その辺の事情がはっきりしないと、ずばずば言っちゃいけない事かもネ。