全部読んでいないけど

 ここに書いている『読んだ本』はたいがい店で電話番している時とか、配達している運転の信号待ちとかで読んでいるものばかりです。ので途中読みで、今日が仕事納めだったので続きは来年の仕事始めまで待たないと読まないのですが、一向一揆の本のこと。
 本願寺を頂点とする一向一揆は、構造的には他の戦国大名と変わらず、ただ合議制が下部組織(一般信者の講、いわゆる町内会レベルのもの)まであって、つまり門徒の一員ほとんどが本願寺法主の命令を吟味して従う様式を持っていたのが特徴でしょうか。いわゆる上意下達の命令伝達方式は、戦国期の大名たちのほとんどは採用しておらず、当主といえども有力家臣との合議で意思決定していました。しかし大概は有力家臣どまり。有力家臣たちはそのまた自身の家臣の中の有力者に図ることはあっても、一兵卒レベルまでは「どうよ?」と話を持ち込む事がない。
 ところが宗教団体である本願寺は一人一人の信心から参加している建て前なので、必ず下部組織まで「どうよ?」と伝達していたようです。その結果法主の命令どおりに実行するところもあれば、「うちらにはあわん」といって拒否するところもあったようで、尾張の聖徳寺というところは、織田信長との戦争していた時期、本願寺には従わず織田家に従い領域領民を安堵されていたようです。
 ただ、普通の大名家が多くても数カ国の領域に過ぎなかったのが、十数カ国規模で動員可能で、しかも自発的に動員に参加し同じ講単位で行動したので、つまり勝手知ったる仲間単位で行動したので団結力が半端ではなかったということ。それらが大名や武家の兵力とは異なっていたようです。
 でも大元の本願寺の行動様式は大名と対して変わらない。
 日蓮宗を巻き込んだ将軍義晴と細川晴元との戦争では京山科にあった本寺を焼かれ略奪され、日蓮宗が中心になってその後も数ヶ月畿内各地で戦闘していたようですが、和議が成立すると日蓮宗とも和睦しています。宗教戦争になっていないんですな。発端は日蓮宗が多かった京の住民を煽って動員しようとした将軍側の流した、一向宗日蓮宗門徒を殺そうとしているという噂なので、そのまま凄惨な殺し合いになるかと思いきや、そうはならない。
 こんな日本では宗教戦争なんて起こらないですよネ。
 続きを読むのが楽しみだわい。