ずっと寒いです。

 本来寒くなると防寒服が売れるのですが、今年はどうなんだろう?動いてはいますが、誰もかれも欲しがっているわけじゃないですネ。まぁ、箪笥に仕舞ってあるのが結構あるのではないかと思ったりして〜。
 あ、さて。昨日から読み始めたのが幕末の天皇明治天皇の父親である孝明天皇の治世初期で助けた鷹司政通の話。
 鷹司政通は三代の天皇に約三十年間摂政関白として仕え、事実上朝廷を主導した人物であり、残っている資料を知る限りでは当たりが柔らかいけれども現実認識が当時の人間としては優れた、穏健保守派とでも言う公家さんです。晩年は彼の政敵が流した『悪評』により佐幕の巨魁で、下級公家につきあげられフラフラしたあげくに安政の大獄で失脚したように語られますが、入手した情報から開国やむなしと早々に判断し(これは幕府上層部と同意見)、そちらの方に朝廷世論を引っ張ろうとしていたようですが、老齢からくる不活発な動きと、若年の孝明天皇を説得できる、当時の大臣級公家に碌な人材がいない、という認識から世の中は過激な方向へ進んでしまったようです。
 かたや孝明天皇ですが、よくいえば気配りの人、悪く言えば優柔不断といえるでしょうか?七十近い鷹司が引退を口にし奏上するたびに引きとめ、幕府がアメリカへの対応を伺ってきたときも、周囲の意見を聞いて返事をするようにしています。
 鷹司政通とは開国拒否の決断をするまで対立関係にはなかったようですが、結局トップダウンではなく朝廷世論を攘夷にする事で自分の意見を押し切った形。しかし幕府を倒す事までは考えておらず、攘夷も『グローバルスタンダード』を押し付けるアメリカの論法と使節ハリスの粗暴な振る舞いに腹を立てて、というかこんな国の人間がやってくるのか!という恐怖心からのようです。政治の主導権はあくまでも幕府に委ねるというのが偽らざる気持ち、というか実際に政治を行う教育など、公家さんは受けていませんからネ。
 安政の大獄にいたる下りはまだ読んでいませんが、当時のフィクサーとしてもっとも『はた迷惑』な存在だったのが徳川斉昭という人物だったのは確かなようです。ちなみに鷹司は斉昭の姉婿で、彼は末年になって軍備重視論になるまで攘夷とうるさく言い続けた斉昭を客観的に見ており、天皇にも斉昭の攘夷とオランダ商館長の開国を進めるような報告書の二つを読ませていたようです。
 なかなかバランス感覚のあったじいさんらしい。