うたた寝したから大丈夫!!

 という訳で、本日は運転最中に眠くなる事はありませんでした。
 今読んでいるのは淀殿の評伝。
 資料から浮かび上がっている彼女は、豊臣秀吉の第二正夫人で、実名が茶々、号が淀。豊臣秀吉家の家政において、朝廷や大名たちとの応対を中心に司った北の政所、寧とは役割分担をしていたらしいこと。必ずしも寧とは敵対関係ではなかったらしく、豊臣家を中心にした外交的やりとり(朝廷や諸大名とのやりとり)では協調していたらしいこと。
 これは戦国期の女性観がかかわってくるのですが、女性は決断が遅いとみられ、事実徳川家との折衝において後手に回り、結局おいつめられていったこと。
 残されている書簡からすると血族や親族間のつながりを大事にしていたらしい事もうかがえます。
 また、徳川が豊臣秀頼に危機感を持ったのは、本人が高い教養の持ち主でそつがないこと。そして朝廷が豊臣びいきであったことがあげられるようです。この頃、徳川と朝廷はかなり緊張した間柄だったので、もし老齢の家康が亡くなれば天下が混沌する事は必定と見られていたようです。
 最後まで読んでいないので解りませんが、茶々も秀頼も、それほど大それた望みは持っておらず、ただ決断が遅れたために滅亡を余儀なくされた印象があります。なりふり構わず豊臣家の存続を図っていれば、どうなっていたか解らなかったという事ですね。
 しかし、読んでて思ったのは秀吉という人はつくづく子供運がない。自分の後継者として育てようと思った子供たちはことごとく死んでいるし、長男も死んでいるし・・・幼児死亡率が現代とは比較にならないほど高かったとはいえ、少し同情しました。可愛いさかりに子供に死なれるのは、想像するだけで、ちと痛いなぁ・・・