東京コミティアいってきました。

 新幹線の移動って楽ですネ。存分に居眠りができましたよ。
 さて、よく愚痴っていましたトリコロールですが、正式にあたくしは書く事から降りました。
 原因は、意識の違いですね。なかせさんは完全プロ思考で、読み手をぐいぐいと引き込むようなものを作りたい。
 ところがあたしはアマチュア、よくてもセミプロ思考で、読みたくない人にまで読ませるつもりはない・・・というか、私が楽しく書く事に主眼があって、それを読んでくれた人には感謝するのですが、あえて引き込むつもりはないのですネ。
 作り手の態度として、なかせさんの真摯さは頭が下がります。自分とは比べ物にならない時間と労力をトリコロールに割いていらっしゃるし、能力もある。
 だが、それに対して自分がついていけない、というのが本音かも知れません。
 これが、その道で食っていこうと決心して仕事をやめて、その道一本で生きる事を決めた人と、趣味でやっているものの違いなのでょう。
 もしかしたら、トリコロールという変身ヒロインもの(?)でなくて、五十年史のような架空歴史物とかなら、自分はこだわりをもって主張したかも知れません。
 しかし、それでもやっぱり私は、なかせさんの創作姿勢にはついていけないかも知れません。
 例えば、なかせさんは昨今のライトノベル誌に連載を持っており、それらの文章に接しておられ、今売れる文章というものをご存知ですが、私はそちらに興味が持てない。読むといえば、今から半世紀ほど前に青春時代を送った人か、それ以前の人物の文章がほとんどで、しかも内田百輭さんのような無駄の多い文章を読んでよろこんでいるような輩です。
 なかせさんに「水河さんも時間がたって読まれて、この部分はいらないと思われるでしょう」といわれた時、私は返事ができませんでした。自分も言うかもしれないし、言わないかもしれないと迷ったからです。文章の流れで「こんなもんだな」と思えば、私はそのまま流してしまいますし、「ひっかかるな」と思えばいらないと言うかもしれないのです。
 ただ、今回なかせさんに「なくてもいい」と言われた部分は私が楽しんだ、かわいげのある文章だと思って書いた部分だったので、心底がっくりきたものです。それ以前に大量の辻褄が合わないとか、不合理とかいう文章が存在していて、これは自分も書き上げた後、苦しいなぁとは思ったので書き換え要求はやむなしとは思いましたが・・・。
 まぁ、根本的なところは、私が完璧だと自信をもった文章をなかせさんに提出できなかったところかも知れません。そもそも完璧な文章などないと自分が思っているせいかも知れません。
 そんなわけで、トリコロールの文章化は私の手から離れる事になると思います。
 でも原案協力した作品という事で、なんらかの形でなかせさんが活用してくれるなら、それ以上の喜びはないのですが。
 ・・・うう、こんなところでこんな文章書いても仕方ないよーな気もするが。いかんのぉ・・・。
 あ、トリコロール2は完売したそうです。お買い上げいただいた方、どうもありがとうございましたー。